「あなたがいればいい」と言った2年間、私はどこにいたのだろう
好きな映画を変え、意見を飲み込み、自分を消すことで愛を証明しようとした2年間。気づいたのは、別れた後に友達から「最近どこ行ってたの?」と言われた瞬間だった。
渋谷のミニシアターで、ひとりで映画を観た。
久しぶりすぎて、チケットを買うときに一瞬手が止まった。横に誰かがいないことに、体が慣れていなかった。
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彼と付き合い始めた頃、私はホラー映画が好きだった。中学生のときから、怖いものを観て現実逃避するのが癖で、「ゲット・アウト」も「ヘレディタリー」も、ひとりで何度も観ていた。
でも彼は「ああいうの、無理」という人だった。
最初は「じゃあ一緒のときは観ない」くらいのつもりだった。それが少しずつ変わっていった。気づいたら「私もそんなに好きじゃないかも」と言っていた。自分の口から。
なぜそんなことを言ったのか、今でもよくわからない。彼が責めたわけじゃない。ただ、好きなものの話をするたびに「それより〜のほうがよくない?」と返ってきて、私はそのたびに少しずつ「そうかも」と言い続けた。
2年間、そういうことが積み重なった。
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付き合って半年くらいのとき、仕事の愚痴を話していたら途中で遮られた。
「でも、それって最初から自分が悪くない?」
違う、と思った。思ったけど、言えなかった。「……そうかもしれない」と答えて、それ以上話さなかった。
しばらくして、会社の同僚から「最近、元気なさそうだけど」と言われた。
「そう見える? 大丈夫だよ」と即答した自分が、後になって怖かった。「大丈夫」が口から出るまでに、0.3秒もなかった。
彼に見せたい自分、彼に嫌われたくない自分、彼に愛されていたい自分。その全部が先に動いて、本当の自分は後ろに引っ込んでいた。
いつから、そうなったんだろう。
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別れたのは去年の春、荻窪の駅の改札前だった。
特別ひどいことがあったわけじゃなかった。ただ、彼が「なんか最近、話してても盛り上がらないよね」と言って。私は「そうだね」と答えた。その「そうだね」が、終わりだった。
泣かなかった。泣けなかった、というより、何を泣けばいいのかわからなかった。
電車に乗って、ぼんやり窓の外を見ていたら、Spotifyのシャッフルが急に星野源の「恋」をかけてきた。最悪のタイミングで笑った。笑うか泣くかわからない顔で、中央線に揺られていた。
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別れて2週間くらいして、大学時代の友達の雪絵から連絡が来た。
「ねえ、最近どこ行ってたの? 全然連絡してこないじゃん」
その一文を読んで、画面を持つ手が止まった。
どこ行ってたの。
私、どこに行ってたんだろう。
思い返すと、2年間の記憶に「私がしたかったこと」がほとんどない。彼が行きたがった店、彼が観たかった映画、彼が話したかった話。週末の予定はいつも彼を中心に組まれていて、友達との予定は「今日ちょっと難しいかも」と断り続けていた。
雪絵に「ごめん、ちょっとバタバタしてた」と返信しながら、目の奥がじんわりした。
バタバタなんてしていなかった。ただ、いなかった。自分が。
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自分を消すことで、愛を証明しようとしていたんだと思う。
「あなたのために変わりました」「あなたに合わせます」「あなたがいればいい」——そういう言葉は、一見すると献身に見える。でも今思えば、それは献身じゃなかった。自分が傷つかないための防御だった。意見を言って否定されることより、最初から意見を持たないほうが楽だった。ぶつかることより、溶けることを選んでいた。
彼のことが嫌いになったわけじゃない。ただ、2年かけて「私」がいなくなったとき、彼も「話してても盛り上がらない」と感じていた。そりゃそうだ、と思う。私も私と話して、全然盛り上がらなかったから。
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あの日、渋谷の映画館でひとりで観た作品は「ボーはおそれている」だった。
正直、途中から意味がよくわからなくなった。でも、怖くて、変で、笑えるシーンで笑って、気持ち悪いシーンでお腹のあたりがざわざわして、エンドロールが流れ始めたとき「あ、ちゃんと感じてる」と思った。
隣に誰もいなかった。感想を言う相手もいなかった。
それが、思いのほか、静かによかった。
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好きな人に合わせることは、愛じゃない。自分を薄めながら一緒にいることは、関係を守っているようで、じわじわと壊していく。
私が消えたとき、私たちも消えた。
「あなたがいればいい」と言えるのは、自分もちゃんといる人だけだ。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。