元彼のインスタを1年間見続けた私が、ある火曜日の夜に画面を閉じた理由
見るたびに胸が締まるのに、やめられなかった。あの習慣が何だったのか、やめた日から何が変わったのか。1年越しに気づいた、執着の正体。
別れた次の日から、始まっていた。
朝起きて、歯を磨いて、コーヒーをいれながら、なんとなくインスタを開く。タイムラインを流すふりをして、でも指は最初から彼のアイコンに向かっていた。渋谷の蔦屋書店で何かを読んでいる写真。友達と新宿ゴールデン街に行ったらしいストーリー。たわいもない投稿。でも私は一枚一枚、ピンチアウトして、背景を確かめて、写っている人間の顔を確かめていた。
これが1年間、ほとんど毎日続いた。
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別れた理由は、特別ドラマチックでもなかった。「なんか、お互いしんどくなってきたよね」と彼が言って、私が「そうだね」と返した。泣かなかった。家に帰ってから、Spotifyで星野源の「恋」を流して、でも途中で止めた。その曲を付き合いたての頃に二人でよく聴いていたことを思い出したから。
スマホを持ったまま、ソファに座っていた。気づいたらインスタを開いていた。彼のプロフィール画面。最後の投稿は3日前。どこかの川沿いの写真。一人で撮ったみたいだった。
なんで見てるんだろう、と思いながら、閉じなかった。
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やめられない理由を、当時の私は「まだ好きだから」だと思っていた。でもそれは半分しか正しくない。
本当のことを言うと、彼のインスタを見ることは、「関係がまだ続いている感覚」を擬似的に作り出す行為だった。彼が今日どこに行ったか知っている。何を食べたか知っている。誰と笑っているか知っている。その「知っている」という感覚が、別れという事実をどこかで薄めてくれていた。
終わったのに、終わっていない。
そのどっちでもない場所に、私はずっといたかったんだと思う。
見るたびに、みぞおちのあたりがきゅっとなる。息を浅く吸う。それでも翌朝また開く。痛みがある限り、まだ自分の中に彼が存在している。そういう倒錯した安心感が、あの習慣を支えていた。
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ある火曜日の夜のこと。
仕事が長引いて、代官山の駅を出たのが22時過ぎだった。疲れていた。コンビニでとりあえずホットレモンを買って、マンションに向かいながら、いつものようにスマホを取り出した。
彼の最新ストーリーが来ていた。
開いた瞬間、視界が一瞬、止まった。
居酒屋みたいな場所で、彼の横に女の人がいた。ツーショットじゃない。でも明らかに、彼女だとわかる距離感で、彼の肩に手が触れていた。彼が笑っている顔が、私と付き合っていたときよりどこか、軽く見えた。
悲鳴をあげたわけじゃない。泣いたわけでもない。
ただ、足が少しだけ、止まった。
「あ、終わったんだ」
声に出したわけじゃないけど、そういう言葉が頭の中に落ちてきた。感情がどうこうより先に、事実として。パズルのピースが最後の一個はまったみたいに、静かに。
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その夜、彼のアカウントをミュートした。ブロックじゃなくて、ミュート。それすらも、まだ完全に手放せていない自分がいた。でも翌朝、目が覚めて、インスタを開いたとき、彼の名前がタイムラインに出てこなかった。
手が、勝手に動かなかった。
1週間後、ミュートをそのままにしていることに気づいた。2週間後も同じだった。
変わったことがある。朝、スマホを開く理由が、なくなった。正確には、「あれを見なきゃ」という義務感みたいなものが消えた。朝のコーヒーが、ただのコーヒーになった。渋谷を歩いていて、蔦屋書店の前を通っても、彼が来そうかどうかを考えなくなった。
自分の時間に、自分が戻ってきた感じ。
それが嬉しいかというと、正直よくわからない。彼が消えた分だけ、自分の一日が少し広くなって、でもその広さが、最初は少し怖かった。
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後から気づいたことがある。
私があの1年間でずっとやっていたのは、「彼を観察する」ことじゃなくて、「自分が傷つくことで、感情が生きている証拠を確かめる」ことだったんだと思う。胸が痛い。だから、まだ終わっていない。そういう論理。
本当の意味で終わったのは、あの火曜日の夜、画面を閉じた瞬間だった。泣いて終わったわけでも、決意して終わったわけでもない。ただ、「もう見なくていいか」とだけ、思った。それだけ。
執着って、大きな感情じゃなくて、毎朝の小さな習慣の積み重ねだった。
やめるのも同じで、一度の決断じゃなくて、翌朝開かなかった、その繰り返しだった。
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痛みを手放すのが怖いのは、痛みと一緒に、あの人も消えてしまうから。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。