深夜0時、Pairsで5年前の彼を見つけて「いいね」を押した指が、3分間止まった
深夜のPairsに、5年前の元同僚が現れた。廊下ですれ違っていただけの人。覚えているかもわからない。それでも指が止まって、動けなかった3分間のことを、今でも思い出す。
深夜0時を回ると、街の音が変わる。
渋谷でも新宿でもなく、自分の部屋の、6畳の窓の外。車の通る音だけがときどき聞こえて、あとは冷蔵庫の低いうなりと、自分の呼吸と。スマホの画面だけが顔を照らしている。そういう時間に人は、ちゃんと判断できなくなる。それをいまならわかる。
Pairsを開いたのは、暇だったからでも、本気で誰かを探していたからでもなかった。ただ、画面をめくっていると、考えなくていい気がした。右か左か。いいねか、スルーか。そういうシンプルな二択に、何かを委ねていた。
スクロールして、止まった。
見知った顔。プロフィール写真の彼は、スーツじゃなくて、どこかの公園らしき場所で笑っていた。少し髪が短くなっていたけど、すぐわかった。5年前、同じ会社にいた人。部署は違ったから、ちゃんと話したことは一度もない。ただ廊下で何度も目が合って、会釈をして、それだけの関係。名前は社員名簿で見て知っていた。それだけ。
プロフィールには、趣味に「山登り」と「映画」。転職して、いまは別の会社にいると書いてあった。年齢は私より三つ上。最終ログインは「24時間以内」。
3分くらい、スマホを持ったまま動けなかった。
向こうは私を覚えているかどうか、わからない。覚えていたとして、こんな場所で再会したことをどう受け取るか、もっとわからない。気まずくなるかもしれない。変な空気になるかもしれない。共通の知人がいたとしたら、知られるかもしれない。ぐるぐると考えて、でも結局、指が動いた。
「いいね」を押した瞬間、胃のあたりがきゅっとなった。後悔、という言葉が一番近いけど、もう少し複雑だった。恥ずかしいのか、期待しているのか、自分でもわからないまま、スマホを伏せて布団に入った。眠れなかった。
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翌朝、通知が来ていた。
マッチ成立。
画面を見た瞬間、ベッドの中で少し起き上がって、また寝転んで。なんでそんな動きをしたのか、自分でも謎だった。外は曇っていて、カーテンの隙間から白い光だけが入ってきた。代官山のパン屋のモーニングが始まる時間。コーヒーのいい匂いを思い浮かべてみたけど、頭は全然そこにいなかった。
私のアカウントには顔写真をつけている。だから向こうは気づいているはず。それでもマッチしたということは、向こうも——と思ったところで、考えるのをやめた。
メッセージは、彼から来た。
「もしかして、○○社にいた方ですか?」
それだけ。シンプルで、でも確認しようとしてくれている感じがした。「そうです」と返した。数分後に「よかった。確認できて安心しました」と来た。
安心、という言葉が妙に胸に残った。気まずい、でなく、変な空気、でなく、安心。その一語で、少し、息ができた気がした。
「意外でした、アプリ使ってるんだなと」と私が送ったら、「そっちもね」と返ってきた。
笑えた。声には出さなかったけど、一人の部屋で、口の端が上がった。お互い様、という話だ。
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その翌週末、会った。
5年ぶりだった。場所は中目黒のカフェ。ラ・ファミーユという、川沿いにある小さい店で、窓際の二人席に向かい合って座った。昼過ぎの光が川の水面で反射して、テーブルの上をゆらゆら動いていた。
不思議な感覚だった、というより、不思議すぎてちゃんと言語化できなかった。初対面の緊張じゃない。かといって、旧友と会う感覚でもない。「廊下で会釈していた人と、マッチングアプリ経由でカフェにいる」という状況が、うまく自分の中に収まらなかった。
最初の15分くらいはぎこちなかった。「いまどんな仕事してるんですか」「あの会社、辞めたのはいつですか」。当たり障りのない話。でも、時間の経過が不思議な働きをした。初対面じゃないから、ゼロから自己紹介しなくていい。でも深く知っているわけでもないから、変に気を遣いすぎなくていい。その中間の、どこか風通しのいい距離感。
コーヒーを一杯飲み終わるころには、もう普通に話せていた。彼は去年から山登りにはまっていて、先月、那須岳に一人で行ったらしかった。「山頂、寒かったですか」と聞いたら、「凍えました。でも降りたくなかった」と言った。その感覚、なんとなくわかると思った。
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付き合っているわけじゃない。
それはいまも変わらない。月に一度か二度、ご飯を食べる。どちらかが近くに寄ったときにLINEして、予定が合えば会う。それだけの関係。
先月、たまたま話題になって、私はぽつりと言った。「あのとき会社で話しかければよかったかな」と。言ってから少し後悔した。柄にもないことを言った気がして。
彼はコーヒーカップを置いて、少し考えてから、「でも、あのタイミングじゃなかったと思う」と言った。
「——え?」
「なんかそういう感じがする。あのとき会っても、こうはならなかった気がするから」
それが正解かどうかは、誰にもわからない。仮定の話は、検証できない。でも、その言葉は妙に腑に落ちた。
深夜0時に、一人でスマホをめくっていた。眠れなくて、3分間、指が止まっていた。あの夜がなければ、この関係はなかった。それだけは確かで、あとのことは全部、まだ途中だ。
縁というのは、タイミングが来るまで、ちゃんと待っている。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。