恋のアーカイブ
恋愛体験談

骨折した3段の階段と、消灯後にこっそり続けたPairsのトーク履歴が、今の私の全部になっている

10月末、右足を骨折して入院した。退屈で死にそうだった病院の夜、Pairsで「行ったことのない場所」について話し続けた人がいた。退院した翌週、松葉杖でタクシーに乗って、会いに行った。

24歳・女性の体験
·橘みあ·6分で読める

右足を骨折したのは、10月の終わりだった。


階段を踏み外した。3段。たった3段で、骨が折れた。骨折そのものより、「たった3段で」という事実のほうがずっと腹立たしくて、救急車の中でひとりそのことだけ考えていた。レントゲン、手術、そのまま入院。2週間の予定、と言われた。


病室の窓から見えるのは、電線と、向かいの病棟の壁だけだった。


空が見えない入院生活は、思っていた以上に時間の流れが狂う。午前と午後の区別がつかなくなる。持ち込んだ本は5冊あって、3日で読み終わった。テレビは有料だった。廊下を松葉杖で往復するのが一日のイベントになっていた。消毒液のにおいと、点滴の音と、遠くのナースステーションの気配だけがある部屋で、私は本当に、退屈で死にそうだった。


友人から「入院してる場合じゃないよ笑、会いに行くわ」とLINEが届いていた。でも断った。松葉杖で動けない状態の自分を見せたくなかった。心配させたくない、という言葉のほうが聞こえがいいけど、本当は、なんか、みっともなかったから。見舞いに来てもらっても、申し訳なさしか残らない気がして。


入院4日目の午後、窓の外の電線をぼんやり見ながら、何気なくPairsをダウンロードした。「どうせ退院したら消すか」と思いながら。判断力が鈍っていた。暇すぎると、人はいろんなことをする。


プロフィールを書き始めたら、意外と書くことがあった。仕事のこと、好きな本のこと、行きたい場所のこと——退院したらやりたいことを書いているうちに、どんどん長くなっていた。最後に「現在入院中、暇すぎてアプリ始めました」と付け加えた。正直に書いたほうが、今の自分にはちょうどよかった。


そのプロフィールに、何人かが反応してくれた。「骨折で入院してるの?大丈夫?」「入院中にアプリ始めるの、メンタル強いですね」。そういう言葉の中で、一人だけ、違う角度から来た人がいた。


「どこに行きたいんですか?」


旅行の本を読んでいる、という一文に反応してくれたらしかった。


「ポルトガルです。リスボンが好きで」と返したら、「行ったことあるんですか」と来た。「ないです、でも写真で見た路地が忘れられなくて」「私も行ってみたくて。石畳と坂道が好きで」「それです、あの下り坂の路地、テージョ川が見えて」——共通の、まだ行ったことがない場所の話で、1時間が消えた。


翌日も話した。その次の日も。病院のwifiがそこそこ安定していて、返信が早かった。相手も早かった。会話のテンポが、合った。消灯後、暗い病室でスマホの光だけを頼りに、話し続けた。リスボンのことだけじゃなくて、なんでもない話も。今日の晩ごはんのことや、昔読んだ本のことや、たまに「なんでこんな話してるんだろう」と思いながらも、やめられなかった。


「骨折してよかった、とは言えないけど」とある夜、私が打ったら、「でも退屈じゃなくなった」と返ってきた。「なったとも言えない」「わかります、でも私が知れてよかった」


その一言で、指が止まった。


スマホを持ったまま、暗い天井を見上げた。なんか、やばい、と思った。好き、とかではなくて、もっと手前の、胸の真ん中がふっと軽くなるような、でも同時にどこかこわいような、矛盾した感覚。まだ顔も見ていない人のことを、こんなに考えている。消灯後の病室で、ひとり、少しだけ笑っていた。


退院した翌週の火曜日、松葉杖をついて代々木公園の近くにある小さなカフェへ向かった。10月が終わって11月になっていた。朝から曇っていて、空気が急に冬の匂いになっていた。電車に乗る自信がなくて、タクシーを使った。タクシーの窓から外を見ながら、なんで私はこんなところに向かっているんだろう、と思った。骨折した足で。松葉杖で。会ったこともない人に。


カフェに着いたら、もういた。


窓際の席に座っていて、私が入ってきたのに気づいたとき、一瞬だけ表情が変わった。「本当に来るとは思わなかった」と言った。「来たかったんです」と私は言った。それだけで、なんか、十分だった。


コーヒーを飲みながら、骨折のことを話した。「3段の階段で」と言ったら笑われた。笑われたけど、その笑い方が優しかった。それから彼は少し考えるように間を置いて、「治るまで重い荷物持ちます」と言った。シンプルな一言だった。でもその言葉の奥に、「重い荷物を持ってほしい」という要求への返答じゃなくて、「この人に何かしてあげたい」という種類の気持ちが透けて見えた。


その差に、気がついてしまったら。


外はいつの間にか小雨になっていた。Camellia Coffeeのガラス窓に雨粒がついていた。帰りもタクシーを呼んだら、「乗るまで待ちます」と言われた。傘を差して、私が乗り込むまで、ずっと立っていた。


足が治っても、荷物を持ってくれることがある。もう必要ないのに。「癖になったんです」と言われた。Spotifyで流していた曲が何だったか忘れたけど、その瞬間の、代々木の小雨と、彼の横顔は、まだ鮮明に残っている。


入院していなければ、会っていなかった。骨折に感謝するのは変だけど、あの2週間がなければ、この人とすれ違っていた。消毒液のにおいのする病室と、消灯後のスマホの光と、3段の階段が、全部の始まりだった。


人生を変えるものが、たった3段の高さだったりする。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

この記事が刺さったら、シェアしてください

恋愛体験談」はまだ 185 本あります

恋愛体験談をすべて読む

次の記事

振られた後、もう一度その人と話せるようになるまで