同棲3日目、シンクにカレーの鍋が3日間あった。それで初めて喧嘩した
Pairsで出会って1年、同棲を始めた。3日目の夜にシンクを見て固まった。初日に作ったカレーの鍋が、まだそこにある。洗われていない。28歳の私が初めて「この人と暮らすのは無理かもしれない」と思った瞬間と、その後の話。
鍋が、まだある。
同棲3日目の夜、仕事から帰ってキッチンの電気をつけた。シンクのステンレスに、カレーの鍋がぽつんと置いてある。初日の夜に彼が作ったカレーの鍋。同棲初日だから張り切って作ってくれた、あのカレー。
3日間、洗われていない。鍋の縁にカレーが固まって、黄色い輪っかになっている。水に浸けてすらいない。
胃の底がずしんと重くなった。
同棲の始まり
28歳。Pairsで出会って1年、付き合って8ヶ月で同棲を始めた。彼は30歳、IT企業のエンジニア。吉祥寺の1LDK、家賃は折半。
引っ越し当日はお互いテンションが高かった。段ボールを運びながら「ここにソファ置こう」「こっちにテレビ」と笑い合って、夜は彼が「俺、カレー作るわ」と言ってキッチンに立った。
カレーはおいしかった。ルーは市販のバーモントカレーで、具材はジャガイモとニンジンと玉ねぎと豚肉。普通のカレー。でも二人で新しいキッチンで食べる最初のごはんだと思うと、特別だった。
「洗い物は明日やるわ」
彼はそう言って、先に風呂に入った。まあ、初日だし。引っ越しで疲れてるし。
2日目。仕事から帰った。鍋はシンクにあった。
3日目。仕事から帰った。鍋はシンクにあった。
怒りの種類
最初は「なんで洗わないの」という怒りだと思っていた。でもシンクの前に立って、固まったカレーの黄色い輪っかを見ているうちに、怒りの正体が変わってきた。
「なんで洗わないの」じゃなくて、「私が洗うと思ってるの?」だった。
彼が作ったカレーだ。彼の鍋だ。「明日やるわ」と彼が言った。3日経っても洗わないということは、「いずれ彼女が洗うだろう」と思っているのか。それとも本当に忘れているだけなのか。
忘れているだけなら、目に入らないことが問題だ。シンクに3日間カレーの鍋があって気にならない人と、毎日気になる私。この差は、どうやって埋めるんだろう。
手が震えていた。怒りで震えているのか、不安で震えているのか、自分でもわからなかった。
喧嘩の始まり
彼が帰ってきた。22時。残業だったらしい。
「ただいま」
「おかえり」
「……なんかあった?」
私の声のトーンで気づいたらしい。「おかえり」の温度が低かったんだと思う。
「カレーの鍋、3日間そのままなんだけど」
「あー、ごめん。今洗うわ」
「いや、今洗うかどうかの話じゃなくて」
「え?」
「3日間、気にならなかったの?」
彼の顔が困惑に変わった。「気にならなかったの?」という質問は、単純に見えて難しい。「気にならなかった」と答えたら「なんで」になる。「気になってた」と答えたら「じゃあなんで洗わないの」になる。
「……忙しかったから」
「私も忙しいよ」
沈黙。キッチンの換気扇の音だけがブーンと回っている。
「別に、お前が洗えばいいとか思ってないよ」
「じゃあなんで3日放置するの」
「だから忙しかったって」
「忙しいのはお互い様じゃん」
声が大きくなっていた。同棲3日目で、初めての喧嘩。カレーの鍋で。こんなことで喧嘩するなんて思わなかった。でも「こんなこと」の積み重ねが、同棲の現実なんだろう。
黙った30分
彼がリビングのソファに座って、スマホをいじり始めた。私はキッチンのカウンターに寄りかかって、腕を組んでいた。
30分、何も話さなかった。
この30分が、同棲してから一番しんどかった。デートなら、気まずくなったら「じゃあ帰るね」で終わる。でも同棲だと帰る場所がない。ここが帰る場所だから。
気まずさから逃げられないのが、一緒に住むということなのかもしれない。
30分後、彼が口を開いた。
「……怒ってるよな」
「うん」
「鍋のことだけじゃないよな」
わかっているんだ。鍋のことだけじゃないと、彼もわかっている。
「これからさ、ルール決めた方がいいと思う」
「ルール?」
「家事のルール。じゃないと、たぶん毎回こうなる」
ルールを決めた夜
その夜、23時過ぎから二人でキッチンのカウンターに並んで、家事のルールを話し合った。
料理を作った人は、その日のうちに鍋を洗う。食器洗いは交代制。ゴミ出しは彼。洗濯は私。掃除機は週末に一緒にかける。
紙に書いた。冷蔵庫にマグネットで貼った。
「こんなことまで決めなきゃいけないのかな」と彼が言った。
「決めなきゃダメだったでしょ、この3日間で」
「……まあ、そうだな」
書き終わって、二人で冷蔵庫に貼ったルールを見つめた。字が汚い。彼の字と私の字が混ざっている。
「カレーの鍋、今洗う」
彼がシンクに向かった。スポンジにジョイをつけて、固まったカレーをごしごし擦る音がした。
「固まってんな」
「3日も放置するからだよ」
「はい……」
同棲して3ヶ月経った今
同棲して3ヶ月。カレーの鍋事件以来、彼はその日のうちに鍋を洗うようになった。完璧じゃない。たまに翌朝になる。でも3日放置はなくなった。
冷蔵庫のルールは、一部改訂された。「料理を作った日は食器洗い免除」という条項が追加された。彼の提案だ。悪くない。
あの夜の喧嘩が、ルールを作るきっかけになった。喧嘩しなかったら、モヤモヤを溜め込んで、もっと大きな爆発になっていたかもしれない。
でも正直に言うと、あの3日間の鍋を見たときの「この人と暮らすのは無理かもしれない」という感覚は、完全には消えていない。ふとした瞬間に、シンクに何か放置されているのを見ると、あの夜の胃の重さがよみがえる。
同棲は、好きだけじゃ続かない。カレーの鍋ひとつで揺らぐ。それが現実だった。
吉祥寺の1LDKで、今日も冷蔵庫のルールが静かに貼ってある。あの汚い字が、たぶん私たちの一番正直な契約書だ。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。