恋のアーカイブ
恋愛体験談

10年ぶりに飲んで、帰り道でずっと彼の声ばかり思い出していた

学生時代はただのゼミの同期だった。10年後に新宿で飲んで、なぜか帰りの電車でスマホを開けなかった。これは変化への反応なのか、それともずっと気づいていなかっただけなのか。

·橘みあ·6分で読める

集合は19時、新宿の思い出横丁の外れにある焼き鳥屋だった。


LINEのグループに「ここどう?」と送られてきた店の写真を見たとき、正直あまり期待していなかった。煙と油と、たぶん知らない人の笑い声が混ざった場所。ゼミのOB飲みなんて、懐かしさを肴にして惰性で続く夜になるんだろうと思っていた。


颯(そう)が来たのは5分遅れだった。


ドアを開けて、「お、みんないる」と言いながら狭い店内に入ってきたとき、一瞬だけ何かが止まった気がした。何が、とは言えない。うまく言えない。ただ、「あ、颯だ」という当たり前の確認に、一秒だけ余分な時間がかかった。


学生時代の颯は、ゼミの発表でいつも早口になるやつだった。緊張すると声が半音上がって、教授に「もう少しゆっくり」と毎回言われていた。就活の時期には研究室で一緒にエントリーシートを見せ合って、お互いの志望動機に「これ嘘くさい」「だよな」と笑い合った。そういう記憶しかない。恋愛感情とは対角線上にある種類の記憶ばかりだ。


それが今は、革のジャケットを椅子の背に掛けながら、ビールを一口飲んで「変わんないな、ここ」と言っている。


変わってる、と私は思った。声が低くなっている。


乾杯の音が重なって、会話がばらけていく。隣の先輩が転職の話を始めた。誰かが子どもの話をした。10年分の話題は多すぎて、でも結局みんな似たような場所に立っていた。東京で働いて、疲れて、たまに学生時代のことを思い出す、そういう場所に。


颯は私の斜め向かいに座っていた。


気にしていないふりをしながら、気にしていた。自覚はあった。彼が誰かの話に笑うたびに、なんとなく視界の端で確認していた。それが癖なのか、それとも——という問いは、ビールの泡と一緒にのみ込んだ。


二時間ほど経ったころ、人数が減って6人になった。話の流れで颯と隣同士になった。特別な理由はなかった。席が詰まっただけだ。


「どこ住んでんの、今」


「中目黒。颯は?」


「俺、三軒茶屋」


「近いじゃん」


「近いな」


それだけの会話だった。でも、焼き鳥の煙が充満した店の中で、「近いな」という言葉が少しだけ長く耳の中に残った。三軒茶屋と中目黒なんて、東急田園都市線で二駅分しか離れていない。10年間、そんな距離に住んでいたのかと思うと、なんとなく妙な感じがした。


颯がレモンサワーを頼みながら、「昔さ、ゼミのあと五人でよく行ってた焼肉屋、まだある?」と聞いた。


「吉祥寺の? 閉まったよ、たぶん3年前」


「あー」と彼は少し間を置いた。「そっか」


惜しむような顔をした。それだけで、なんか、ちゃんとあの頃を覚えているんだと思った。バカみたいな感想だけど、本当にそう思った。


帰り際、店の外で解散になった。


夜の新宿は相変わらず、どこを向いても光が多すぎる。颯は「じゃあ」と言いながら、「また飲もうな」と付け加えた。社交辞令の温度ではなかった気がする。でも確かめる方法もなかった。


新宿駅の改札をくぐって、中央線のホームに立ったとき、スマホを取り出したのに何も開けなかった。


InstagramもXも、開く気になれなかった。


イヤホンをつけて、Spotifyを起動して、最初に流れてきたのがスピッツの「空も飛べるはず」だった。再生し続けた。別に深い意味はない、ただそのまま聴き続けた。でも窓ガラスに映る自分の顔を見ながら、今夜何かが変わったのか変わっていないのかが、自分でもよくわからなかった。


家に帰って、お風呂に入った。


シャワーを浴びながら、ぼんやり考えていた。颯への気持ちが今夜生まれたのか、それとも10年前からあって気づいていなかっただけなのか。どちらもありえる。でもどちらかを決めることに、今の私は耐えられない気がした。


学生の頃、颯のことを「いいやつ」と思っていたのは本当だ。ただの「いいやつ」だった。エントリーシートを見せ合って、お互いの志望動機を笑い合えるような、そういう友達だった。


でも、今夜の颯が「近いな」と言ったときの一拍が、なぜこんなに長く残っているんだろう。


10年という時間は、人を変える。声が低くなる。革のジャケットを着るようになる。昔よりゆっくり話すようになる。そういう変化が、知っていた人間を「知らない誰か」に少しだけ近づける。その「少しだけ知らない感じ」が、恋の入口に似た質感を持つことがある。


だとすれば、これは10年分の変化への反応にすぎない。


でも、もしかしたら。


ゼミの発表で声が半音上がっていた颯を、私はずっとちゃんと見ていたのかもしれない。ただ、当時は自分の見ているものに名前をつけなかっただけで。


翌朝、グループLINEに「昨日は楽しかった!また集まろう」というメッセージが流れた。


颯からではなかった。でも颯も「👍」を押していた。


私はスマホを伏せて、コーヒーを飲んだ。


答えはまだない。でも、答えを急がなくていいとも思っている。ただ一つだけわかるのは、昨夜の帰り道、スピッツを聴きながら窓に映った自分の顔は、久しぶりに何かを始めようとしている人の顔をしていた。


気づかなかったのか、気づかないふりをしていたのか。その問いの答えは、たぶん、また飲みに行ったときにわかる。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

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