フェードアウトした相手と2年後、下北沢の本屋で再会した
私が返さなかった最後のLINE。あの人は、まだ同じ本を読んでいた。
2年前の冬、私は一人の男の人をフェードアウトした。
タップルで出会ったユウキさん。28歳、グラフィックデザイナー。穏やかで、声が低くて、話すとき少し俯く癖がある人だった。
3回会った。1回目は渋谷のカフェ。2回目は代官山のギャラリー。3回目は六本木のバーで、少し酔って、帰り道に手が触れた。触れただけ。握らなかった。
4回目のデートの約束をした翌日、別の人とマッチした。そっちの方が写真がかっこよくて、メッセージのテンポが速くて、なんとなくそっちに気持ちが流れた。
ユウキさんへの返信が遅くなった。24時間後、48時間後、72時間後。「週末空いてる?」というメッセージに「ごめん、ちょっと忙しくて」と返して、それきり。
既読をつけたまま、返信しなかった。
3週間後にユウキさんから「お元気ですか?」と来た。読んだ。返さなかった。
それが最後。
別の人とは2回会って終わった。顔はかっこよかったけど、デート中ずっと自分の話ばかりで、私の言葉を一度も拾わなかった。帰りの電車で、ユウキさんが「それで? その続き聞きたい」と私の話に身を乗り出してくれたことを思い出した。
喉の奥がぎゅっとなった。でも今さら連絡なんてできない。自分からフェードアウトしておいて、「やっぱり」なんて。
時間が経った。アプリで何人かと会った。付き合った人もいた。半年で終わった。その人にも「なんかさ、いる時にいない感じがする」と言われた。意味がわからなかった。わかりたくなかった。
2年後。
10月の日曜。下北沢のB&Bという本屋にいた。ビールが飲める本屋。一人で来るのが好きだった。本とビールがあれば、日曜の孤独は誤魔化せるから。
新刊の棚を見ていた。村上春樹のエッセイ集を手に取って、パラパラめくっていた。
「あ」
声がした。低い声。聞き覚えがある。2年間聞いていなかったのに、体が覚えている声。
顔を上げた。
ユウキさんが、1メートル先に立っていた。
同じ本を手にしていた。村上春樹。同じエッセイ集。
心臓が暴れた。血が頭に上って、視界が一瞬白くなった。
「……久しぶり」
ユウキさんが言った。驚いた顔。でも怒ってはいない。少なくとも、そう見えた。
「久しぶり、です」
声が掠れた。2年分の罪悪感が喉に詰まっている。
「元気だった?」
「……はい。元気、でした」
嘘だ。元気じゃなかった。でもここで「元気じゃなかった」と言ったら、「じゃあなんで返信しなかったの」と言われる。当然の疑問。当然の怒り。
でもユウキさんは聞かなかった。
「村上春樹、まだ好き?」
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「……はい」
「俺も」
2年前と同じだ。この人は変わっていない。話すとき少し俯く癖も、声のトーンも、私の言葉を急かさないところも。
「ビール、飲む?」
本屋のカウンターで並んでビールを飲んだ。IPAとペールエール。2年前には存在しなかった時間が、今、目の前にある。
「あの時、ごめんなさい」
自分でも驚くくらい唐突に出た。ビールの泡がグラスの縁で弾けている。そこを見つめながら言った。
「返信しなくて。急に連絡やめて。最低だったと思います」
長い沈黙。本屋のBGMがジャズに変わった。ビル・エヴァンスのピアノ。静かな旋律が、沈黙を柔らかくしてくれた。
「正直、結構きつかった」
ユウキさんが言った。俯いて、ビールのグラスを回している。
「3回目のデート、手が触れた時、あ、いけるかもって思って。で、次の約束もして。それで急に連絡途絶えて」
「……」
「何がダメだったのかなって、ずっと考えた。俺がつまらなかったのかとか。会話下手だったのかとか」
違う。あなたは何も悪くない。悪いのは、もっとキラキラしたものに目がくらんだ私だ。
「ユウキさんのせいじゃないです。本当に。私が」
「うん。今はわかる」
ユウキさんが顔を上げた。2年前より少しだけ顔が大人びている。顎のラインがシャープになった。でも目は同じ。穏やかで、少し寂しそうな目。
「でもさ、こうやって同じ本屋にいるってことは——」
言いかけて、ユウキさんが止まった。
「なに?」
「いや、何でもない」
「言ってください」
「……まだ、間に合うかなって。思っただけ」
ビールのグラスが震えた。私の手が震えていたから。
「間に合います」
早口だった。考えるより先に口が動いた。
「今度は、私から。ご飯行きましょう。私が予約します。私が誘います。前みたいにはしません。絶対に」
言いながら、目が熱くなった。鼻の奥がツンとする。本屋で泣くな。30歳手前の女が本屋でビール持って泣くな。
ユウキさんが笑った。2年前と同じ笑い方。口角が少しだけ上がる、控えめな笑顔。
「じゃあ、連絡先。変わってないけど」
「私も、変わってないです」
変わってない。番号も、LINEも、この人のことが気になっていたことも。
翌週の土曜日、神楽坂のフレンチに行った。私が予約した。ヒールを履いた。SHIROのサボンをつけた。気合が入りすぎて逆に恥ずかしかったけど、ユウキさんは「いい匂いする」と言ってくれた。2年前、代官山のギャラリーの帰り道に言えなかった言葉を、彼は今日さらっと言った。
食後、神楽坂の石畳を歩いた。10月の夜。金木犀の匂いがどこからか漂ってきた。
「ねえ」
私は立ち止まった。
「手、つないでいい?」
2年前、触れたのに握れなかった手。今度は自分から。
ユウキさんの手が、ゆっくり伸びてきた。温かかった。少しだけ汗ばんでいた。その手が、しっかり握り返してくれた。
back numberの「ハッピーエンド」が頭の中で流れた。嘘みたいにベタだけど、本当に流れた。
3ヶ月後、付き合い始めた。今度はフェードアウトしない。LINEは即レスする。会えない日は電話する。前の私がしなかった全部を、今の私はやる。
下北沢のあの本屋には、今でも2人で通っている。ビールを飲みながら、それぞれ好きな本を読む。時々感想を言い合う。時々何も言わない。そういう時間が、一番いい。
フェードアウトは、相手を消すんじゃない。自分の可能性を消す行為だ。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。