好きになりすぎる前に終わらせた、その3ヶ月が全部うそになった夜
withで知り合った彼と3ヶ月、私は傷つく前に自分から距離を置いた。でも後日、彼が別アカウントで活動しているのを見つけて気づいた。守りたかったのは、相手じゃなくて自分の幻想だったのかもしれない。
十一月の終わり、渋谷の蔦屋書店に一人でいた。
コーヒーを頼んで、窓際の席に座って、スマートフォンをひっくり返してテーブルに置いた。外は雨で、傘を持っていない人が軒下で立ち往生していた。私はそれをぼんやり眺めながら、もう一ヶ月以上ひらいていないwithのアプリをまたインストールしようかどうか、ずっと考えていた。
結局しなかった。
理由はシンプルで、あのアプリをひらくたびに、彼のことを思い出すから。正確には、彼じゃなくて、「自分から終わらせた」という事実を思い出す。それが、まだ少し、喉の奥に引っかかっている。
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知り合ったのは八月だった。
プロフィールに「BUMP OF CHICKENが好き」と書いてあった。私もそうだったから、最初のメッセージを送った。それだけの理由で始まったのに、気づいたら毎晩一時間以上話していた。声が低くて、笑うと少し鼻から息が抜ける人だった。
三ヶ月で、会ったのは六回。下北沢のカレー屋、代官山の古本市、終電を逃して朝まで話した新宿のファミレス。どこも特別な場所じゃないのに、全部が妙に色鮮やかに記憶に残っている。
「なんか、ずっと話せるね」
彼がそう言ったのは、代官山で古いレコードを眺めていたときだ。私は「うん」とだけ答えた。本当は、「怖い」と思っていた。こんなに話が合う人、初めてだと思っていた。
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終わらせたのは、十月の半ばだった。
特別な事件はなかった。喧嘩もしていない。彼は何も変わっていなかった。変わったのは私の中の何かで、ある夜、彼からLINEが来るのを待ちながら、スマートフォンを三十分ずっと握り締めていることに気がついて、そこで急に冷水を浴びたような気持ちになった。
だめだ、と思った。
好きになりすぎる前に、終わらせなきゃ。
根拠はなかった。彼が浮気をしていたわけじゃない。冷たくなったわけでもない。ただ私は、過去に何度か「これだけ好きになったのに」という経験をしていて、その重力に引っ張られて動けなくなる自分を知っていた。だから先手を打った。「ちゃんと付き合いたい気持ちがあるから、でも今の自分には難しくて」という、半分本当で半分言い訳の言葉を送った。
彼の返信は短かった。
「そっか。話してくれてありがとう」
それだけだった。引き止められなかった。少し泣いた。でも、自分を守れたとも思った。そのときは。
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一ヶ月が経って、蔦屋書店の窓際で雨を眺めていた私は、なんとなくインスタグラムをひらいた。
特に理由はなかった。友達の投稿を流し見して、気づいたら検索欄に彼の名前を打ち込んでいた。
アカウントは非公開になっていた。そこまでは想定内だった。でも、サジェストに見慣れない別のアカウントが出てきた。アイコンは同じ写真じゃないけど、プロフィール文の言い回しが、彼のものだとわかった。「BUMP OF CHICKENとカレーが好き」。
胸の中で何かがずれた。
新しいアカウントは、私と終わった一週間後に作られていた。フォロワーは二百人近くいて、フォローの中に知らない女性のアカウントがいくつかあった。投稿は食べ物の写真が多くて、コメント欄に見知らぬ人たちが絵文字を送っていた。
普通の、日常だった。
私はコーヒーを一口飲んだ。ぬるくなっていた。
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「あっちはそこまで好きじゃなかったのかも」
その考えが頭に浮かんだとき、最初は否定したかった。でも、否定できる根拠が何もなかった。
彼は「そっか」と言った。一週間で動き出した。引き止めなかった。それは彼が冷たいんじゃなくて、たぶん、私が思っていたほど深くはなかったのかもしれない。三ヶ月、楽しかった。でもそれだけ。
じゃあ私の「好きになりすぎる前に」は何だったんだろう。
誰も追いかけてこなかった。傷つけられる前に逃げたつもりが、追いかけてくる人なんていなかった。防衛線を張って、その内側に一人で立っていた。
雨が少し強くなった。
軒下の人が、諦めたのか、濡れながら歩き出した。私はその背中を見て、なんとなく自分もそんな気持ちだと思った。立ち止まっても濡れる。歩いても濡れる。ならどっちでも同じだったのかもしれない。
スマートフォンをテーブルに置いて、天井を見た。
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今ならわかる、と言い切れない。
防衛することが間違いだったのか、タイミングが悪かっただけなのか、そもそも相手が「その人」じゃなかっただけなのか。何もわからない。ただ、苦くて、少し恥ずかしい。
傷つくことを怖れて先に距離を置いた。それはきっと正直な行動だった。でも結果として、傷つかなかったわけじゃない。違う場所が、じわじわと痛い。「守った」と思っていたものが、実は存在しなかったかもしれないという感覚。その空洞が、思ったより深かった。
彼のことが、好きだったのか嫌いになったのか、もう自分でもわからない。ただ、あのBUMP OF CHICKENの話をしたときの、電話越しの声だけが、妙にリアルに耳に残っている。
窓の外の雨が、少しだけ弱まった。
withのアプリは、まだインストールしていない。
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傷つく前に逃げた人間が一番痛いのは、逃げた先に誰もいなかったと気づいたときだ。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。