空港で会うまで、顔を見ていなかった
withでマッチングして1ヶ月、声も動く姿も知らないまま、私は羽田空港の到着ロビーに立っていた。あの瞬間の「あ、この人だ」は、今でもうまく言葉にできない。
深夜0時を過ぎたころに届くメッセージがある、ということを、しばらく知らなかった。
withでマッチングしたのは、梅雨が明けきらない7月の中旬だった。プロフィール写真は3枚。清潔感のある横顔、友人と撮ったらしいごはんの写真、どこかの海岸で空を見上げているショット。顔はわかる。でも、笑い方も、声の高さも、歩き方も、何も知らない。それでも毎晩、スマホの画面を明るくして、文字を打ち続けた。
1ヶ月、ビデオ通話も電話も一度もしなかった。向こうから提案されたこともないし、私から言いだせなかった。声を聞いたら、何かが変わってしまいそうな気がして。あの「変わる」が怖かったのか、待ち遠しかったのか、自分でもよくわからないまま、夏が来た。
メッセージの話題は、たわいもないことばかりだった。昨日観た映画のこと、コンビニで見つけたかき氷の話、深夜に急に眠れなくなったときのこと。「私もそれ好きです」「えっ、わかります」——そういうやりとりが積み重なって、知っているような、でも全然知らないような、奇妙な距離感になっていた。
ある夜、「そろそろ会いませんか」と送った。親指が震えた、というほどではないけれど、送信ボタンを押したあと、スマホを伏せた。
返信は3分後に来た。
「来週末、海外旅行から帰ってくるんですけど、空港まで来ますか?」
画面をスクロールして、もう一度読んだ。空港。到着ロビー。変な提案だ、と思った。普通、初対面ってカフェとか公園とかじゃないの。でも私は5秒も考えないで「行きます」と打っていた。なんで行くって言ったんだろう、と後から思ったけど、行かない理由が一個も出てこなかった。
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日曜日の羽田空港、午後2時。
第3ターミナルの到着ロビーには、スーツケースを持った人たちがひっきりなしに流れてくる。出迎えの人たちが端っこに固まっていて、私もその一角に立っていた。飛行機の到着時刻は聞いていた。「LINEの着信音鳴らしながら出てきます」と昨夜メッセージが来ていた。それだけが手がかり。
セキュリティゲートが開くたびに、全員の顔を見た。違う、違う、違う——。スーツ姿のビジネスマン、子ども連れの家族、カップルらしき二人組。知らない人が次々と現れて、次々と消えていく。東南アジアっぽい日焼けの人が出てきたとき、一瞬息が止まった。でも違った。また違った。
7月の空港ロビーは冷房が強くて、薄手のカーディガンを持ってこなかったことを後悔した。緊張しているのか寒いのか、腕に鳥肌が立った。スマホを見て、また顔を上げる。その繰り返し。
出てきた。
写真で見たのと同じ顔、同じ雰囲気。でも、違う。なんか、小さい。写真より全然小さくて、紺のバックパックを背負っていて、引いているスーツケースがちょっとくたびれていた。私に気づいた瞬間、少し目を細めて——笑った。
あ、この人だ。
頭で考えたわけじゃない。体のどこかが勝手にそう思った。うまく言えないけど、「写真の人」が「この人」になった瞬間、みたいな感覚だった。
「来てくれた」
「来ました」
それだけ。1ヶ月分の文字がぜんぶ、その2往復に凝縮されたような気がして、少し笑ってしまった。向こうも笑っていた。
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ロビー内のスターバックスで、2時間話した。
旅先はタイで、バンコクからチェンマイまで移動したらしかった。寺院の話、屋台のカオマンガイの話、なぜか雨に3回降られた話。私は聞きながら、声に慣れようとしていた。文字で想像していた声と、実際の声は、少し低くて、思ったよりゆっくりしていた。悪くない、と思った。いや、それよりも——好き、かもしれない、と思った。でもまだわからない。好きと「違うかも」が同時にある、あの落ち着かない感覚。
ホットラテを両手で包んで、何度か話が途切れた。沈黙が怖くなかったのは、1ヶ月のメッセージがあったからかもしれない。お互いの声の出し方とか、リアクションの間合いとかを測るような、静かな2時間だった。スターバックスの窓から見える到着ロビーには、また別の誰かが出てきて、また別の誰かが出迎えていた。
「次は普通に会いましょう」と言ったら、笑われた。
「今日が初対面で、空港が普通じゃないってわかってます」
「じゃあ次は普通な場所で」
「代官山のカフェとか?」
「それで」
短い言葉が気持ちよかった。長々と説明しなくていい人、というのが少しわかった気がした。
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帰りの京急に乗りながら、LINEを開いた。
「今日楽しかった、また会いましょう」
短い一文。でも、読んだとき、胸の奥がじわっと温かくなった——というより、肩の力がすとんと抜けた感じ。緊張していたんだな、と初めて気づいた。
窓の外に夕焼けが広がっていた。東京の夏の夕方は独特で、ビルの隙間からオレンジと紫が混じった空が見えた。イヤホンから流れていたのは、なんとなくシャッフルでかかったYOASOBIの「Bless Your Breath」で、歌詞はほとんど頭に入ってこなかったけれど、メロディだけがその夕焼けと一緒に焼きついた。
到着ロビーで初めて見た顔が、もう懐かしい気がする。
たった数時間前の出来事なのに、ずっと昔から知っていたような錯覚がある。それが何を意味するのか、まだわからない。わからないまま、でも代官山のカフェの約束が、今の私にはちょうどいい。
先のことより、次の一歩。それだけでいい夜だった。
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知らない声が「この人の声」になる瞬間は、言葉じゃなくて、体が先に知っている。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。