地元が同じ人とマッチングして、子どもの頃の話で2時間
Pairsで「静岡市出身」の人とマッチングした。小学校が同じで、学年は3つ違う。知り合いじゃない。なのに、あの廊下の匂いを、二人とも覚えていた。
深夜1時を過ぎたころ、Pairsのプロフィール画面をスクロールしていた。
東京に来て7年。部屋の窓から見えるのは、高円寺の商店街の看板と、コンビニの蛍光灯だけ。静岡の実家を出たとき、こんなに長く東京にいるつもりはなかった。でも気づいたら7年が過ぎて、地元に帰るのは年に2〜3回になっていた。
出身地の設定を「静岡」にしていたのは、理由があった。たとえば帰省するたびに感じるあの感覚——馴染みの定食屋にシャッターが下りていること、商店街の端に知らないドラッグストアが建っていること——そういう変化を「そうなんだ」以上の言葉で受け取ってくれる人が、東京には少なかった。
その人のプロフィールに「静岡市出身」と書いてあった。
「もしかして○○の近くですか」
送ってから、少し後悔しかけた。唐突すぎるかな、と。でも数分で返信が来た。
「そのまさにです」
小学校が同じだった。学年は3つ違う。面識はゼロ。それでも、同じ校区で育ったというだけで、スマホを持つ手がすこし温かくなった気がした。
話が止まらなかった。
「○○ラーメン知ってます?」「知ってる、高校帰りによく行ってた」「私も。でも店主が変わったって聞きました?」「え、知らなかった」「息子が継いだらしくて」「そこまで知ってるんですか」「地元の友達が通い続けてて」——テキストのやりとりなのに、声が聞こえる気がした。静岡弁の抑揚が、少しだけ。
東京にいながら、静岡のアップデートをしてもらっていた。
LINEに移って、1週間やりとりして、会うことになった。
場所は渋谷、代官山よりの路地にある小さなカフェ。窓際の席。11月の午後、外を歩く人たちがコートの襟を立てはじめていた。
緊張していたかといえば、していた。でも違う種類の緊張だった。好きかどうかとか、どう見られるかとか、そういうことよりも先に、「この人と話したい」という気持ちがあった。それがすこし不思議で、すこし、こわかった。
あわせて読みたい
本棚を読んだ女が、最初のメッセージで彼を黙らせた話
Pairsのプロフィール写真、背景に本棚が写っていた。タイトルが読めた。3冊を最初のメッセージに入れた。彼からの返信が来るまで、48分かかった。
「あの教室の廊下が——」と話しはじめたとき、彼が「リノリウムですよね」と言った。
体が止まった。
そう、リノリウム。あの独特の、油っぽいような冷たいような匂い。体育館の木の床の、踏むたびに軋む感触。給食の時間に廊下まで漂ってきたカレーとコッペパンの匂い。そういう五感に刷り込まれた記憶を、説明しなくても持っている人が目の前にいる。それがどれだけ——うまく言えないけれど、どれだけ、なんというか。
「なんで東京に来たんですか」と彼が聞いた。
「就職で。あなたは?」
「大学から。もう7年いる」
「地元、たまに帰りますか」
「年に2〜3回。帰るたびに何か変わってて、それが少し」
少し、何なのか、最後まで言わなかった。言えなかったというより、言葉が見つからなかった。
「寂しい、ですよね」と彼が続けた。「でも変わっていく方が、生きてる感じもして」
「それはいい言い方ですね」
「一緒に帰りましょう」
気がついたら、そういう話になっていた。
2ヶ月後の年末、東海道線で静岡に向かった。富士山が車窓の右側に現れたとき、隣に誰かがいることで、見慣れた景色がすこし違う輪郭を持って見えた。「あ、富士山」と言ったら「雪、多いですね今年」と返ってきた。それだけの会話。それだけなのに、なんか、胸のあたりが。
静岡駅のホームに降りた瞬間、冬の空気が肺に入ってきた。
ほんのり塩気が混じった、あの匂い。東京にはない匂い。子どものころ、この匂いを「静岡の匂い」と思ったことなんて一度もなかったのに、7年離れると鼻が覚えていた。「ここの匂い、好きなんです」と言ったら「わかります」と返ってきた。それだけで、十分だった。
あわせて読みたい
猫と犬の飼い主が初デートで写真を見せ合った話
プロフィールに書いた猫の一言が、彼からの最初のメッセージを引き寄せた。ペットの話だけで3日が過ぎた。初デートに持参したのは、スマホの写真フォルダだった。
街を歩きながら話し続けた。「ここにあのスーパーがあって」「今は違う店ですよ」「知ってる、さびしい」「でもあそこのパン屋はまだある」「本当に?」「ほんとに」。彼が先に歩いて、角を曲がった。
そのパン屋に入ったら、変わらない匂いがした。
シナモンと小麦の、あの匂い。子どものころから何も変わっていない。変わっていないものが、まだここにある。喉の奥がきゅっとして、目の奥が熱くなりかけて、でも泣くほどでもなくて——その中間のどこかで、しばらく立っていた。
彼も少し黙った。
「こういうの、一人で来ると単純に懐かしいだけなんですけど」と彼が言った。「二人で来ると、なんか別の感じがします」
うまく言えなかったけれど、わかった。懐かしさと、切なさと、あとなんだろう、温かさ?でも温かさとも少し違う。過去を一緒に持っているわけじゃないのに、同じ場所で育ったというだけで、こんなに近い気持ちになれる。それが恋なのかどうか、正直まだわからなかった。ただ、隣に立っていてほしいと思った。この街を歩くとき、ずっと。
好きかどうかより先に、この人でよかった、と思った。それが正しい順番なのかはわからない。でもそのとき私の中にあったのは、確かにそれだった。
今ならわかる。「地元が同じ」は、共通点の話じゃない。同じにおいを、同じ温度を、身体のどこかに刷り込んでいる、ということだ。言葉にしなくていい記憶を、隣で持っていてくれる人がいる——それは、他のどんなことでも埋まらない。
育った場所を一緒に歩ける人が、こんなに近くにいた。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。