恋のアーカイブ
恋愛体験談エッセイ

「料理が苦手で」と言った夜、毎週教えてくれた人の話。後悔しなかった

アプリで知り合って3回目のデート、渋谷のカフェで「料理、全然できないんです」と何気なくこぼした。そのひとことが、毎週土曜日の午後を人生でいちばん好きな時間に変えた。一緒に台所に立つことから始まった恋愛体験談。

27歳・女性の体験
·橘みあ·6分で読める

十一月の終わり、渋谷のカフェだった。


窓の外に雨が降っていて、店内にはエアコンの温風と、誰かのラテの甘い匂いが混ざっていた。アプリで知り合ってから3回目のデート。そろそろ「この人のこと、どう思ってるんだろう」と考えはじめていたころ。二回目のデートのあとで「また会いたい」とLINEを打とうとして、結局「楽しかったです」だけ送って。その「また会いたい」の4文字を消したことを、ちょっとだけ後悔していた。


「料理、全然できないんですよ」


何の気なしに言った。話のつなぎ、みたいな感覚で。でも彼女はコーヒーカップを置いて、少し考えるような顔をしてから言った。「教えますよ」。


軽い調子だった。冗談なのか本気なのか、わからなかった。「本当ですか」と聞いたら「料理は好きなので、ぜひ」と言われた。


そのときは、素直に信じていなかった。社交辞令の温かい版、くらいに思っていた。


ニンジンが最初の理由を、知らなかった


次の土曜日、本当に来てくださいと言われて、本当に行った。


中目黒の駅から歩いて七分、古いマンションの三階。ドアを開けてもらったとき、玉ねぎを炒める匂いがした。もう何か始まっていた。「先に下ごしらえしてました」と彼女が言って、エプロンを渡してくれた。


キッチンは狭かった。二人で立つと、肩が触れそうなくらい。


「野菜炒めくらいは作れますか」

「キャベツとニンジンを切って、炒めたことは、あります」

「じゃあそこから」


短い返答だった。でもその「じゃあそこから」に、否定がなかった。できないことをできないと言っても、特別な顔をされなかった。


ニンジンを先に入れると教わった。「なんでニンジンが最初なんですか」と聞いたら「火が通りにくいから」と言われた。たったそれだけの説明なのに、腑に落ちた。知らなかった、というより、考えたことすらなかった。料理って、理由があるんだ。ちゃんとした理由が。


うまくできた。自分で作ったのに、信じられなかった。


毎週土曜日が、そういう日になった。


野菜炒め、チャーハン、ハンバーグ、パスタ、肉じゃが。3ヶ月で10種類くらい。失敗もした。チャーハンのとき火が強すぎて、端が焦げた。「次は弱めに」と言われながら、二人で笑った。笑えた、というのが不思議だった。失敗しても、責められなかった。


いつのまにか、土曜日の午後が好きになっていた。


スーパーのレジ袋が窓際に置かれている光景とか、まな板の音とか、湯気で曇る眼鏡を外す彼女の仕草とか。全部が、妙に鮮明に記憶されていた。


でも、「好きかもしれない」と認めるのは、怖かった。


だって、これってつまり「料理を習っている関係」で。向こうが何を思っているかなんて、わからなくて。こっちの都合で意味を書き換えたら、この土曜日が壊れるかもしれない。そういう計算が、頭のどこかにずっとあった。好きと「でも違うかも」が、同時に存在していた。どちらかに決めることができなかった。


「好きだから」という来る理由


肉じゃがを作った土曜日。


十二月の午後で、窓から差し込む光がオレンジ色になりかけていた。じゃがいもをうまく潰せなくて、力が入りすぎてボウルの縁にぶつけた。「ゆっくりでいいです」と言われた。


その声が、耳のそばで聞こえた。


胸のあたりが、ぎゅっとした。説明できない感覚。料理の話じゃない、この人と話すのが楽しい、と気づいたのは、そのとき。ニンジンの話も、塩のタイミングも、全部ただの理由だった。この人の隣にいたいための、理由。


じゃがいもを潰しながら、「好きかもしれない」と、今度ははっきり思った。


その日の帰り際に言えばよかった。でも言えなかった。また来週も来る理由が欲しかったのかもしれない。


翌週も行った。その次も。


年が変わって一月、「料理が上手くなりました」と言ったら、彼女は少し間を置いてから「もう教えることがなくなったら来なくなりますか」と言った。笑いながら。冗談っぽく。でも目は笑っていなかった。


「来る理由を作ります」


言ったあと、少し後悔した。なんか気取った言い方だなと思って。でも続けた。


「好きだから、という理由では」


沈黙が続いた。長かった。たぶん五秒くらいだったと思う。でも、すごく長かった。


「それは十分な理由ですね」


それだけ言われた。


声が、少し低くなった気がした。


今でも毎週土曜日は、一緒に料理を作っている。


あのころより少しだけうまくなったけれど、まだ教わることがある。意図的に残している部分も、もしかしたらあるかもしれない。でも彼女は何も言わない。ただ「次はこれを覚えましょう」と言って、エプロンを渡してくれる。


先週は鱈のアクアパッツァに挑戦した。蛤の殻を洗いながら、「これ難しくないですか」と聞いたら「簡単ですよ、見てるだけでいいです」と言われた。見てるだけ。でも見ながら、全然別のことを考えていた。この人の隣で料理を覚えられてよかった、とか。最初の土曜日のニンジンのことを思い出してた。


中目黒のマンションのキッチン、玉ねぎを炒める匂い、肩が触れそうな距離。


好きになる理由は気づいたときにはもう染み込んでいるのに。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

#ストーリー#料理#一緒にいる時間

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