フェスで偶然会った人と、テントの中で朝まで話した夏
苗場の夜、みんなが笑うより少し遅れて笑う人がいた。人混みに押されて、気づいたら隣にいた。空が白くなるまで話して、寝るのが惜しかった、あの夜のことを。
フジロックは、3年連続で行っていた。
苗場の空気って、東京とは匂いが違う。杉と土と、誰かのキャンプファイヤーの煙が混ざったような、うまく言えないけれど確かに存在するあの匂い。それを肺に入れた瞬間に「ああ、来た」と毎年思う。特別なことが起きるからじゃない。何も証明しなくていい場所に来た、という感覚。
今年は友人4人でテントを張って、3日間いた。GYPSY AVALONの近くに陣地を作って、朝はコンビニのおにぎりを食べて、日が沈む前からステージの前に場所を取る、そういう3日間。2日目の夕方、別の友人グループと合流することになった。
知らない顔が4人いた。
そのうちの一人が、なんか違った。
みんなが大声で笑っているところで、ちょっとだけ遅れて笑う。0.5秒くらい。その遅れが、おかしいというより、なんというか、ちゃんと咀嚼してから笑っている感じがした。愛想じゃなくて、本物っぽかった。笑い方が。
「あの人、誰」とさりげなく友人の袖を引いたら、「あー、〇〇君ね」と軽く返ってきた。それ以上の情報はなかった。ない方がよかった、とも思う。なにも知らないから、観察できた。
夜のステージに向かったのは8人で、GREEN STAGEの人波に飲まれながら、どんどん前に押し込まれていった。フェスの人混みって独特で、見知らぬ人と肩が触れても誰も謝らない。それが不思議と心地いい。全員が同じ方向を向いているから。
気づいたら隣にいた。彼が。
「このバンド、好きなんですか」
声をかけてきたのは向こうからだった。音が大きいから、耳元に顔を寄せないと届かない。タバコじゃない、なんか植物っぽい匂いがした。
「好きです。今日一番楽しみにしてました」
「俺も」
たった二言。でも音楽が鳴っている間ずっと、妙に意識していた。好きなんだろうか、この人のことが。と思う自分と、いや、場の空気でしょ、と冷静に返す自分と、その二つが交互に出てきて、ちょっと忙しかった。ステージに集中できなかった、正直。
キャンプサイトに戻ったのは深夜を過ぎてからで、他のみんなはあっという間に眠った。6人分の寝息と、遠くから聞こえるまだどこかで続いている音楽と。
なぜか二人だけ、起きていた。
「眠れないんですか」
テントのジッパーを半分開けて外を見ていたら、彼も出てきた。
「眠くないんです、今日は」
「私も」
理由はなかった。眠れない理由も、外に出た理由も、二人並んでフィールドに向かった理由も。でも人が引いた深夜の苗場は、昼間とは別の顔をしていて、星がうるさいくらい出ていて、地べたに座るのが自然な気がした。
THE NORTH FACEのテントが並ぶキャンプエリアの端、売店でキリンの缶ビールを二本買って、芝生に直に腰を下ろした。ビールが少しぬるかった。それでも飲んだ。
音楽の話から始まった。好きなアーティストが思ったより被らなくて、でもお互い否定しなかった。地元の話になって、彼が長野の出身だと知った。「だからフジロックが好きなんですか」と聞いたら「そういうわけじゃないけど、なんかここだけ時間の流れ方が違う気がして」と言った。
わかる、と思った。口で言う前に、体でわかった。
仕事の話になって、なぜフェスが好きなのかという話になって、子供の頃の話になった。話している途中で「あ、でも」と言いかけて、なぜか彼は止まった。「なんですか」と聞いたら「いや、なんでもないです」と笑った。その「なんでもない」が気になって、でも聞けなくて、違う話題にした。そういう間が、怖くなかった。
気づいたら東の空が白くなっていた。
じわじわと、夜が溶けていく感じ。苗場の山の稜線がシルエットで浮かび上がって、鳥の声が一羽、また一羽と増えていって。
「もう朝だ」
彼が言った。
「そうだね」
私は言った。
それだけだった。でも「寝よう」と言い出すのが、惜しかった。この時間が終わることが、ただ惜しかった。好きかどうかとか、これがどういう関係になるかとか、そういうことじゃなくて。この白み始めた空と、ぬるいビールの缶と、隣に座っているこの人と、全部ひっくるめた今が、もう少し続いてほしかった。
連絡先を交換して、フジロックが終わって、東京で会うようになった。
渋谷のBar Musicで飲んだ夜のことも、中目黒を当てもなく歩いた秋のことも、ちゃんと覚えている。でも一番鮮明なのは、やっぱりあの朝で。
フジロックで出会った、と話すと「ロマンティックだね」と言う人がいる。そうかもしれない。でも私には、ロマンティックという言葉がしっくりこない。
ロマンティックって、どこか完成した物語に使う言葉な気がするから。あの夜はまだ、何も完成していなかった。好きかどうかも、この人が何者かも、自分がどうしたいかも。全部がふわふわしたまま、空だけが白くなっていった。
その不完全さが、むしろ忘れられない理由なのだと、今ならわかる。
答えが出る前の夜明けは、答えが出た後のどんな朝よりも、長く残る。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。