恋のアーカイブ
恋愛体験談エッセイ

頂上で「来てよかった」と言った夜。景色か私かで迷った横顔

初対面の相手に「一緒に山、行きませんか」と送った深夜2時の話。3月の高尾山、稲荷山コースの落ち葉の上で咄嗟に彼の腕を掴んだ。1秒だった。心臓が跳ねて、手のひらが熱くなった。あの感触がまだ残っている。

28歳・女性の体験
·橘みあ·6分で読める

正直に言う。初対面に「山、行きませんか」と送ったのに、来てよかった。


深夜2時。2月の終わり、仕事終わりのベッドの中でスマホを握りしめていた。Pairsのプロフィールに「山登りが趣味」と書いてある人を見たとき、心臓がどくんと鳴った。なんとなく信用できる気がした。山が好きな人は、しんどいことを知っている人だと思っていた。たぶんそれだけで、送信ボタンを押した。指先が少し震えていた。


返信は思ったより早かった。「いいですね、どこに行きますか」。


その一文で、止めていた息を吐いた。断られると思っていたから。初めて会う相手にいきなり山を提案するのは、我ながらどうかしていたし、引かれる可能性も考えていた。でも彼は普通に「どこに行きますか」と聞いてきた。それだけで、この人とは話せる気がした。


高尾山を提案したら「行ったことないです」と返ってきた。


「初心者向けですか」


「全然大丈夫です、観光客も多いし」


「じゃあ行きましょう」


テンポが心地よかった。駆け引きがなかった。


高尾山口、朝7時


3月の第一土曜日、京王線の終点。改札を出たら、もう何組かいた。家族連れ、カップル、一人で来ている人。桜にはまだ早くて、でも空気がどこかもう冬じゃなかった。杉と土が混ざった匂い。吸い込むたびに肺の奥まで通っていくような、ひんやりした朝の空気。


彼は登山靴を履いてきていた。


「ちゃんと山仕様だ」と言ったら「登山ですから」と笑った。ゲイターまで付けていた。少し嬉しくて、喉の奥に詰まっていた緊張がほどけた。


1号路から上がった。舗装されているから歩きやすい。並んで歩きながら話した。向き合うより、歩きながら話すほうが、なぜかいろんなことを言える。目を合わせなくていいから。視線が同じ方向を向いているから。仕事のこと、家族のこと、山を好きになったきっかけ。彼は高校の時に友人に連れられて行ったのが最初だと言った。


「最初はしんどかったけど、頂上から見た景色で全部吹き飛んだ」


その言い方が、素直だった。


薬王院を過ぎたあたりで、彼が少しペースを落とした。


「しんどいですか?」


「いや、景色見てた」


木の間から、遠くに街が見えた。霞んでいたけど、ちゃんと広かった。


山頂の富士山と、稲荷山コースの落ち葉


頂上についた。富士山が見えた。


雲が少なくて、輪郭がはっきりしていた。思ったより大きくて、思ったより白かった。3月の冷えた風が頬に当たって、肌が引き締まるような感覚。「きれいだ」と言ったら、彼が「ほんとだ」と言った。並んで、しばらく同じものを見ていた。


下山は稲荷山コースを使った。土の道で、木の根が張り出していて、落ち葉が湿っている。足元を見ながら歩いていたとき、右足が滑った。咄嗟に彼の腕を掴んだ。1秒。手のひらが熱くなった。心臓が跳ねて、耳まで血が上るのがわかった。


「大丈夫?」


「……大丈夫です、すみません」


手を離した。でも指先に、彼のジャケットの生地の感触がずっと残っていた。


彼が前を歩いて、「ここも滑りやすいです」とたまに教えてくれた。声が少し柔らかくなっていた気がするのは、たぶん気のせいじゃない。


駅前の蕎麦とビール


下に降りて、高尾山口の駅前で蕎麦を食べた。山菜そば。出汁の匂いが湯気と一緒に立ち上って、最初のひとくちで、冷えた体の芯が溶けるみたいだった。彼がビールも頼んで、「山の後のビールは別格ですよ」と言った。私も頼んだ。飲んだ。冷たくて、苦くて、喉に染みた。確かに、別格だった。


帰りの京王線の中で、疲れて少し眠くなった。窓の外が流れていった。隣に彼がいて、膝に手を置いていた。自分の手。でも落ち着いた。


「また来ましょう」と彼が言った。


「どこに?」


「もっと高いところ。丹沢とか、谷川岳とか」


「行ったことないです」


「だから行くんですよ」


笑った。電車が揺れていた。あの日から、もう2年が経つ。今月、谷川岳に行く約束をしている。


一緒に登るのは楽だけど、一緒に下るほうが、ずっと近くなれる。

よくある質問

どのアプリで知り合って、最初のメッセージは何でしたか?
Pairsで知り合い、最初のメッセージが「一緒に山、行きませんか」という提案でした。相手のプロフィールに「山登りが趣味」と書いてあったのを見て、2月の深夜に送ったそうです。
最初のデートはどこに行ったのですか?
3月の高尾山、稲荷山コースです。落ち葉の上を歩いている途中、咄嗟に彼の腕を掴んだのはほんの1秒のことでしたが、手のひらが熱くなったと書かれています。
頂上で「来てよかった」と言った彼の言葉は、景色のことだったのですか?
それが景色のことなのか、それとも筆者のことなのか、今でもわからないとタイトルと本文に記されています。その一言の解釈がずっと宙に浮いたままになっている、というのがこの体験談の核心です。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

この記事が刺さったら、シェアしてください

あなたへのおすすめ

ストーリー」に興味があるあなたへ

料理教室でマッチングした人と、家で初めて料理を作った夜
恋愛体験談

料理教室でマッチングした人と、家で初めて料理を作った夜

「ぜひ教えてほしいです」と送ったのは完全にノリだった。でも彼女は金曜の夜、本当にエコバッグ二つ持って来た。キッチンで肩が触れたあの瞬間のことを書く。金曜日の夜、玄関のチャイムが鳴った瞬間、心臓が跳ねた。

女性26歳
6
本の趣味が同じだった夜、3ヶ月かけてゆっくり好きになった後悔
恋愛体験談

本の趣味が同じだった夜、3ヶ月かけてゆっくり好きになった後悔

最初のメッセージが「どの村上春樹作品が好きですか」だった。宣言じゃなく、問い。それだけで、この人とは話せると思った。3ヶ月かけてゆっくり好きになっていった話——本の趣味が同じだっただけで、こんなに時間が豊かになるとは思っていなかった。

女性30歳
6
趣味が同じ人とマッチングした夜。後悔しなかった2人でやってみた話
恋愛体験談

趣味が同じ人とマッチングした夜。後悔しなかった2人でやってみた話

「一緒に行きませんか」——Pairsで北アルプス経験者から直球のメッセージが来た日、心臓が跳ねた。奥多摩、丹沢、八ヶ岳。5回山を重ねて、松本駅のホームで「今更ですが」と切り出した27歳の登山マッチング体験談。

女性Pairs|27歳
6
写真が趣味の人と、東京中を歩いた3ヶ月間
恋愛体験談

写真が趣味の人と、東京中を歩いた3ヶ月間

マッチングアプリのプロフィール「写真撮りながら街歩きが趣味で」に深夜1時の衝動でDMを送った。谷中から神楽坂まで、カメラを持った彼と歩いた3ヶ月間のこと。「今日の写真がよかったから」——意味不明なのに、わかった気がした。

女性28歳
6
フェスで偶然会った人と、テントの中で朝まで話した夏
恋愛体験談

フェスで偶然会った人と、テントの中で朝まで話した夏

フジロック苗場の夜、みんなより少し遅れて笑う人がいた。人混みに押されて、気づいたら隣にいた。GYPSY AVALONの近くのテントで、空が白くなるまで話した。寝るのが惜しかった、あの夏の夜のこと。

女性27歳
6
6歳上と付き合った夜、価値観の違いに迷った話
恋愛体験談

6歳上と付き合った夜、価値観の違いに迷った話

プロフィールに「6歳上」とあって、一瞬指が止まりかけた。でも自己紹介欄の文章がどこかずれていて、それが気になって右にスワイプした。違いはたくさんあった。それでも、この人のことを面白いと思い続けている。年の差恋愛の体験談。

女性29歳
7

恋愛体験談」はまだ 298 本あります

次の記事

30代でマッチングアプリを始めた夜、後悔しなかった話