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恋愛体験談

本の趣味が同じだった人と、3ヶ月かけてゆっくり好きになった

最初のメッセージは「どの村上春樹が好きですか」だった。宣言じゃなく、問い。それだけで、この人とは話せると思った。

·橘みあ·6分で読める

最初のメッセージが、問いだった。


「どの村上春樹作品が好きですか」


「好きです!」じゃなく、「あなたはどう?」と聞いてくる。その向きが、よかった。マッチングアプリで届くメッセージのほとんどは宣言か、挨拶か、天気の話だ。でもこれは違った。こっちに開いている。


「ノルウェイの森です。暗いけど好きで」と返した。

「僕はダンス・ダンス・ダンスです。理由を聞いてもいいですか」


画面を見て、少し止まった。


理由を聞く人、初めてかもしれない。「私もです!」と言い合って、それで終わる。そういう会話しかしてこなかった気がする。好きという事実だけ交換して、なぜが宙に浮いたまま流れていく。「なぜ好きなの」って、聞かれることが怖い人もいるし、聞くのが怖い人もいる。でも彼は聞いてきた。


「孤独を書いているけど、どこか前向きな孤独だから」と送ると、「なるほど」と一言だけ返ってきた。それから3分後。「ダンス・ダンス・ダンスを好きな理由、私からも聞いてもいいですか」と続いた。


この「私からも」が、ずっと頭に残っている。対等にしようとしてくれる人だ、と思った。


毎日1〜2回のペースで、本の話だけをした。村上春樹から始まって、川上未映子、又吉直樹、山田詠美。「じゃあこれも読んでみてください」と互いに勧め合う。3週間、それだけだった。プロフィールに書いてあった職業も年齢も、関係なかった。本の話をしている間だけは、属性のない人間同士みたいだった。


ある週、「最近読んだ本、どうでした?」と聞かれて「まだ読めてないです、今週忙しくて」と答えた。「そうか、じゃあ感想は今度聞かせてください」と返ってきた。


急かさない。それだけのことなのに、胸の奥がゆるんだ。「早く読んでください」でも「忙しそうですね」でもなく、「今度聞かせてください」。その距離感が、息がしやすかった。


会う場所を考えたとき、すぐ浮かんだのが下北沢のBook & Bedsだった。本棚に囲まれた空間で、ビールが飲める。雑誌に見えて本で、本棚の前に小さな席がある。普通の居酒屋でもカフェでもなく、本棚のある場所で会いたかった。


「本棚のある場所で会いましょう」と提案したら「ここを知ってるなら行きたいです」と即答だった。


12月の夜。下北沢の駅を出ると、路地の隙間から冷たい空気が入ってきた。ライブハウスの看板、カレーの匂い、誰かがアコギを弾いている音。下北沢はいつも、どこかで音がしている。


Book & Beds下北沢の前に7時ちょうどに着いたら、彼はもういた。


写真で見ていた通りの人だった。細い眼鏡。本を持っていた。バッグじゃなく、手に持っていた。「これ、おすすめしようと思って持ってきました」と差し出してきた。岸政彦の『断片的なものの社会学』。


受け取りながら、少し笑いそうになった。会って最初の言葉がそれか、と。ありがとう、とだけ言った。


店の中は薄暗くて、本棚の間に人が立ったり座ったりしていた。私たちも棚の前を移動しながら、「これ知ってますか」「知らないです」「じゃあ貸しますよ」という会話を何度もした。


棚を眺めているふりをして、隣に立っている彼を見ていた。本のタイトルを目で追う横顔。少し丸めた背中。指が細かった。本を取り出すときの手の動き。


好きかどうか、わからなかった。でも、この人のそばにいると時間の流れ方が変わる、とは思っていた。ゆっくりになる。それが何なのか、まだ名前をつけたくなかった。


ビールを2杯飲みながら3時間話した。文体の話、装丁の話、本屋の棚の並べ方が好きという話。気づいたら、本の話だけじゃなくなっていた。子供の頃に読んだ本の話から、子供の頃の話になっていた。


「もっとここにいたい」と思った。同時に、「違うかもしれない」とも思っていた。好きというより、居心地がいいだけかもしれない。本が好きな人と話すのが楽しいだけかもしれない。そのふたつが、帰り道もずっと並走していた。


別れ際、「面白かったです」と言ったら「また来週、本の話しましょう」と言われた。


「また来週」。


いつかじゃなく、来週。漠然とじゃなく、週単位で。それだけで、電車の中でずっと手がじんわりしていた。


月2〜3回のペースで会って、本の話をした。そのうち、彼の職場の話や、住んでいる街の話や、子供の頃に父親と行った図書館の話が混じり始めた。本棚の前だけじゃなく、喫茶店のテーブルを挟んでも、話せるようになっていた。


3ヶ月目の、雨の夜だった。


自分でも気づかないうちに、「好きになったかもしれない」とわかった。大きな出来事があったわけじゃない。彼の話している横顔を見ながら、ただそう思った。気づいたというより、認めた、という感じに近かった。


その夜、家に帰ってすぐLINEが来た。


「すごく変なタイミングかもしれないけど、付き合ってほしいです」


画面を見て、声が出なかった。笑ってしまった。笑いながら、目のあたりが熱くなった。変なタイミングじゃない。ちょうどよかった。今日じゃないと、もう少し経ったら「やっぱり好きじゃないかも」と思い始めていたかもしれない。恋愛には、波がある。


「私もそう思ってました」と送ったら「よかった、ちょっと動悸がしてる」と返ってきた。


その「動悸がしてる」が、今でも一番好きな言葉かもしれない。かっこよくしようとしなかった。ちゃんとそわそわしてくれていた。


本棚の多い本屋を歩くと、今でも彼のことを思い出す。背の順に並んだ背表紙、紙とインクの匂い、棚を眺める人の横顔。あのBook & Bedsの薄暗い空間で、本のタイトルを一緒に読んでいた夜のことを。


ゆっくり好きになった人は、ゆっくり大切になっていく。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

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