武道館の2日目、1万人の中にいたあなたのことを私はまだ知らなかった
YOASOBIのライブに、私たちは同じ夜、同じ空気の中にいた。マッチングアプリで知り合ってから気づいた事実が、胸の奥で静かに音を立て続けている。
深夜0時を過ぎたころに、スマホの画面を見つめながら、私は少しだけ息をのんだ。
マッチングアプリからの最初のメッセージ。どうせ「最近なにしてますか」か「仕事なにやってるんですか」だろうと思っていた。ほとんどの最初のメッセージはそういうものだから。でも、そうじゃなかった。
「先月のYOASOBIのライブに行ってました。武道館の2日目」
手が、止まった。
私も行っていた。2日目。スタンド席の右側、通路から3席目。あの夜、Ayaseがギターを弾くたびに照明が変わって、ikuraの声が天井まで届いて、隣に座っていた知らない女の子が途中から泣いていた。そのことを、ずっと誰かに話したくて、でも話せる相手がいなかった。
「私も行ってました!」
送信する前に一度だけ消して、また打ち直した。言葉は同じなのに、なぜか慎重になっていた。返信が来る。
「えっ、どのあたりにいましたか」
スタンド席の右側、と送ると、「僕はアリーナの後ろの方でした」と返ってきた。
──同じ空間にいた、ということになる。
1万人以上が入る会場。11月の武道館。あの夜の冷えた空気と、開演前の静かな高揚と、「アイドル」のイントロが流れた瞬間に会場全体がひとつになったあの感覚。その中に、この人もいた。名前も顔も知らないまま、同じ時間に、同じ音を聴いていた。
「もしかしたら同じ時間に同じ場所にいたんですね」と書いたら、「それ、すごくないですか」と返ってきた。
すごい、と思った。同時に、なんだか変な感じもした。すごいのに、その日はお互いのことを知らなくて。すごいのに、今こうしてアプリで初めて繋がっていて。過去が急に、現在に追いついてきたような、少し眩暈のするような感覚。
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そこからの会話は、止まらなかった。
YOASOBIの話から、他のアーティストの話へ。好きなフェスの話、初めてライブに行った話、「あのバンドの解散ライブで号泣した話」まで。深夜2時を過ぎても、私はスマホを置けなかった。布団の中で画面を近づけて、暗い部屋で一人で笑っていた。
「ライブで初めて好きになった曲ってありますか」と彼が聞いてきた。
Pretenderです、と答えた。「元々知ってたけど、ライブで聴いて泣きました」と書いたら、少し間があって、「わかります、公演によって全然違う」と返ってきた。
わかります、という二文字が、なぜか胸に刺さった。
音楽の話ができる人が好きだ。ただ「好き」と言うんじゃなくて、どのライブで、どの曲を聴いて、何を感じたか、そういうことを話せる人が。そういう人はあまりいないと思っていたのに、この人はすんなりそっちに来てくれた。少し怖いくらいに。
好きかもしれない、と思った。でも同時に、「違うかも」とも思っていた。この感じに乗っかりすぎるのは危ない、と身体のどこかが言っていた。期待した分だけ、ずれたときに崩れる。それを知っていたから、慎重にしていたかった。
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初めて会ったのは、渋谷のライブバー。
道玄坂を少し入ったところにある、階段を降りた地下の店。金曜の夜で、外は小雨が降っていた。傘を畳んだまま手に持って、店の前で立っていたら、「もしかして」と声をかけられた。
アプリの写真より、少し背が高かった。
その日もライブをやっていた。知らないバンド。でも悪くなかった。薄暗い照明の中で生演奏を聴きながら、カウンターに並んでビールを飲んだ。乾杯もしなかった。なんとなく、したくなかった。
「あのライブ、どのセトリがよかったですか」という話を、声を少し大きくしながらした。音が大きくて、顔を近づけないと聞こえなかった。それがちょうどよかった。距離を詰める理由を、音楽が作ってくれていた。
帰り道、雨はやんでいた。渋谷の夜は人が多くて、並んで歩くと肩が触れそうになった。
「また一緒にライブ行きませんか」と彼が言った。
行きたかった。それは本当のことだった。でも、すぐに「行きます」と言いながら、心の奥でちょっとだけ息を止めていた。行きたいと思っている自分と、でもまだよくわからないという自分が、同時にいた。好きと「違うかも」が、いつもどこかで並走していた。
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半年で、7本のライブに行った。
SUMMER SONICの炎天下。キャパ300人のライブハウス。台風の前日に強行した野外フェス。そのたびに、音楽の話をして、移動中に他愛ない話をして、終演後に「よかったね」と言い合った。
7本目は、下北沢の小さな会場だった。出口を出たとき、夜風が思ったより冷たかった。並んで歩きながら、今日のセトリの話をして、私が「あの曲、生で聴いたの初めてだったんですよね」と言いかけたとき。
「好きです」
短かった。それだけだった。
立ち止まってしまった。足が先に反応した。彼の顔を見たら、真剣だった。ふざけている感じは、全然なかった。
胸が、痛かった。痛い、という言葉しか出てこない。嬉しいとも切ないとも違う、でも確かに何かが動いた。
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あの夜のことを、今でも時々思い出す。
11月の武道館。私はスタンド席の右側にいて、彼はアリーナの後ろの方にいた。同じ曲を聴いて、同じ照明を見て、同じ空気の中にいた。でも私たちは、お互いのことを知らなかった。
アプリがなければ、一生知らないままだったかもしれない。渋谷の雑踏で肩が触れても、それが誰なのかわからないまま、終わっていたかもしれない。
縁というものが本当にあるなら、きっとこういう顔をしている。
派手じゃなくて、偶然の形をしていて、気づいたときにはもう少し遅い。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。