恋のアーカイブ
恋愛体験談

好きな本が同じだったのに、2年後に私たちは別の言語を話していた

村上春樹で繋がって、村上春樹では埋められなかった。「好きなものが同じ人」と「一緒にいたい人」が、全然違うということを、2年かけて知った。

29歳・女性の体験
·橘みあ·6分で読める

深夜一時、マッチングアプリのプロフィール欄をスクロールしていた。渋谷のワンルーム、カーテンを閉め忘れたまま、窓の外には小雨。


「好きな作家は? 村上春樹と角田光代」


画面を止めた。スクロールする指が、止まった。


私も、同じだった。それだけでいいねを押した。深夜の、たぶん少し正気じゃない時間に。



最初のメッセージは翌朝来た。「ノルウェイの森か国境の南か、どっちが好きですか?」


シンプルな質問だった。でも、聞いてくる人間がいるとは思っていなかった。だいたいみんな「趣味は?」か「仕事は何してるの?」から入る。


「国境の南、です。ずっと後味が引きずられるやつ」


少し迷って、「ずっと後味が引きずられるやつ」という部分を付け加えた。削ろうとして、やめた。正直に言いたかった。


「私も」と返ってきた。


たった二文字。でも、その二文字で、胸の奥のどこかが、かすかに、音を立てた気がした。



はじめて会ったのは、代官山のログロードにある小さなカフェだった。十一月の土曜日の昼下がり、枯れかけた蔦が外壁に這っていて、店内にはチェット・ベイカーが流れていた。


彼はすでに窓際に座っていて、文庫本を読んでいた。角田光代の『八日目の蟬』。


「それ、読んでるんですか」と言ったら、「再読です、何度目か忘れた」と言った。


好きな本が同じ人間に、生まれて初めて会った。そのことが、じわじわと、体の内側から温かくなるような感覚をくれた。


コーヒーが冷めても話していた。本の話、作家の話、どの場面が好きか、どのセリフを何度も読み返したか。時間が、ふだんの三倍くらいの速さで過ぎた。


帰り道、雨が降り出した。信号待ちで並んで立っていたら、彼が傘を差し出した。「どうぞ」でも「使って」でもなく、ただ無言で差し出した。その不器用さが、なんか、よかった。



付き合い始めたのはその二か月後。クリスマスイブとか関係なく、十二月の普通の水曜日だった。


最初の三か月は、会うたびに本の話をした。おすすめし合って、感想を送り合って、気に入ったフレーズをLINEで送り合った。彼から届く文章は、いつも少し長くて、丁寧で、読み終えるたびに「この人のことをもっと知りたい」という気持ちが積み上がった。


「本が好きな人は、言葉にうるさい。だから、ちゃんと話せる」と、どこかで思っていた。思い込んでいた、が正しい。



四か月目の土曜日。私は昼から本屋に行きたかった。下北沢のB&Bで、好きな作家のトークイベントがあった。


「一緒に行く?」と聞いたら、「うーん」と間があった。「外、寒いし、家でゆっくりしたい」と言われた。


別に、それはいい。一人で行けばいい。でも、「一緒に行きたかった」という気持ちの置き場が、なかった。


イベントが終わって、感想を送ったら「よかったね」と返ってきた。


「よかったね」。


悪くない言葉だ。悪くないけど、なんか、違った。何が違うのか、そのときはうまく言葉にできなかった。



一年が過ぎた頃、週末の過ごし方が少しずつ、ずれていった。


彼は家で映画を観るのが好きで、私は外に出たかった。彼は夜型で、私は朝に起きて散歩をしたかった。感情の温度差もあった。私が「なんかもやもやしてる」と言うと、彼は「何が問題なの?」と聞いた。問題を聞いているんじゃなかった。ただ、もやもやを、そのまま受け取ってほしかっただけだった。


「本の趣味が合う人と、人生観が合う人は、同じだ」と信じていた。本を選ぶということは、その人の内側を選ぶことに近いと思っていた。


違った。


本で共鳴できても、朝の時間の使い方は全然違う。言葉が好きでも、感情の受け取り方は全然違う。「好きなものが同じ人」と「一緒に暮らしていける人」は、重なることもあるし、重ならないこともある。そんな当たり前のことを、一年以上かけて、ゆっくり知っていった。



別れを切り出したのは、二年が経った、梅雨の夜だった。


窓の外に雨が降っていた。最初に会った日も雨で、なんか、そういうことかな、と思った。


「本の趣味が合ったのに」と彼は言った。悲しそうでも怒っているわけでもない、ただ、本当に腑に落ちないという顔で。


「そうなんだけど、それだけじゃ、なかった」


それしか言えなかった。もっとうまく説明できたら、と思ったけど、説明できなかった。「それだけじゃなかった」が、全部だったから。


帰り道、コンビニでホットレモンを買って、傘もささずに少しだけ歩いた。雨は弱くて、傘をさすほどでもなかった。濡れた路面に街灯が映って、その光がゆれていた。泣かなかった。泣けなかった、が近い。悲しいというより、なんか、お互いに消耗させてしまった、という疲れの方が大きかった。



今は、別の人と付き合っている。


好きな作家は、全然かぶらない。彼は歴史小説が好きで、私が勧めた角田光代を一冊手にとってはみたけど、「なんか合わなかった」と正直に言った。それで、いい、と思った。


違うところより、朝のコーヒーの飲み方が似ている。日曜日の朝、ゆっくり起きて、窓を開けて、何もしゃべらずにコーヒーを飲む。そのリズムが、なんとなく、同じ。


本の話はできないけど、黙っていられる。同じ沈黙の中に、ちゃんと一緒にいられる。


それが、今のところ、一番しっくりきている。



「好きなものが同じ」は、始まりになる。でも「一緒にいたい」は、もっと別のところで決まる。たとえば、雨の日の傘の差し出し方とか、日曜の朝の沈黙の種類とか、そういう、言葉にするには小さすぎることで。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

このテーマを読む:別れ・失恋体験談

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