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恋愛体験談エッセイ

植物園を2時間歩いた、なんでもない午後の話

「どこでもいいです」の返答から、彼が選んだのは小石川植物園だった。特別なことは何もなかった。銀座のバーでも表参道のカフェでもない2時間の散歩が、なぜか一番心に残っている。「なんでもない日」が好きになった、ある午後の話。

30歳・女性の体験
·橘みあ·5分で読める

「どこ行きますか」


彼からのLINEを読んで、私は返した。「どこでもいいです」


本当は思い浮かばなかったわけじゃない。銀座のバーとか、表参道のカフェとか、いくつか候補はあった。でも二十五歳になると、デートスポットを提案することすら、なぜか気負ってしまう。相手の期待値を勝手に高めてしまうのが怖くて。だからいつも「どこでもいいです」になる。


返信は来なくて、返信は来なくて。三十分くらい経ってから。


「小石川植物園、どう?」


植物園?という顔を、スマートフォンの向こう側で私はしていた。デートといえば、きらびやかな場所を想像していたから。でも反論する理由もなくて、すぐさま返した。「行ったことなかったのでいいです」


それ以来、私たちの会話のやり方が変わることはなかった。


名前の知らない花を、知ろうとしなかった


当日の午後三時。門賀橋門から入った小石川植物園は、六月の湿度を連れて、濃い緑色をしていた。


入場料を払って、中に入る。その時点では、私たちの関係がどうなるのか、本当に何もわかっていなかった。二回目のデートで、彼の好みも、価値観も、まだほんのわずかにしか知らない状態で。


右を見れば、樹齢の長そうな老木が枝を広げている。左を見れば、名前の知らない低い花が、雨に濡れた葉を揺らしている。空は灰色で、いつ降るかわからない空気が、肌に粘り着いていた。


「温室、行きます?」


彼が言った。私は頷いた。


ただ歩いた。


それが全てだったのに、なぜか何かを感じていた。温室の中は蒸し蒸ろしくて、肩が触れそうになっては離れて。大きな木を眺める時、彼は何も言わず、ただそこに立っていた。池の鯉を見るために柵に身を乗り出した時、彼が「落ちるよ」と言って、笑った。


特別なことは何もなかった。


でも。


「これ、なんていう植物かな」


私が聞いた。


「わからないね。調べてみる?」


彼が言った。


「調べなくていいか。きれいだから」


そう答えると、彼は「そっか」と呟いて、また歩き始めた。その呟きに、何かが詰まっていたような気がした。きれいで十分、という私の言い方に。何か同意してくれたような。


ポケットの中で、両手は何度も握ったり緩めたりしていた。


会話は不規則だった。話す時もあれば、黙って並んで歩く時もある。その間隔が心地よいのか、居心地悪いのか、その判断さえ揺らいでいた。好きかもしれない。でも違うかもしれない。そういう状態のまま、二時間は過ぎていった。


正門のそばのベンチに、腰を下ろした。


「気持ちいいね」


彼が言った。


「そうですね」


私が答えた。


それ以上、何も言わなかった。言葉にすると、壊れてしまいそうだったから。この沈黙が、続いてほしかったから。


でも沈黙は続かず、彼は「そろそろ帰ろうか」と立ち上がった。


「また来ますか」が約束になった夕方


別れ際は、駅の改札の前だった。


「楽しかったです」


私が言った。


「そうですか」


彼が言った。


顔が熱くなった。「そうですか」って何だろう。もっと何か、欲しかった。「俺も」とか。「また行きたい」とか。でも彼の口からは出なくて。


「また来ますか」


私が聞いた。


「来ますよ」


「二人でですか」


「二人で」


その時の彼の声は、違ったと思う。最初よりも、何かが柔らかくなっていた。


約束になった。


あれから三週間が経って、今、私はこの日のことを思い出している。


深夜一時。ベッドの上で、スマートフォンの光を顔に受けて。


一番普通の午後が、一番好きな記憶になるっていうのは、本当なんだと思う。特別な日じゃなかったから。何もしなくていい時間だったから。映画なら映画の話をしないといけない。食事なら食べながら会話が生まれないといけない。でも植物園は、ただいればそれでよかった。名前の知らない花を一緒に見て、知ろうとしなくて、それで十分だった。


翌週の土曜、また小石川に行った。今度は晴れていた。光の入り方が全然違って、同じ道なのに別の場所みたいだった。「先週と全然違いますね」と言ったら「植物園って来るたびに違うんですよ」と彼が言った。その言い方が好きだった。来るたびに、という言い方。また来る前提になっている言い方。


歩きながら話して、黙って植物を見て、また話す。その自然な流れの中にいる時間が、何かを教えてくれていた気がする。相手のことを知ろうとすることより、知らないことを一緒に受け入れることの方が、時には大切なんだっていう。


きれいで十分、というのは、そういう関係のことを言ってたのかもしれない。


何もしなくていい時間が、一番欲しい時間なんだ。

よくある質問

なぜ植物園を選んだのですか?
「どこでもいいです」という返答に対して、彼が「小石川植物園、どう?」と提案したとあります。デートにきらびやかな場所を期待していた本人も驚いたようです。
どれくらい歩いたのですか?
2時間歩いたとあります。特別なことは何もないはずなのに、ただ一緒にいる時間がずっと心に残っているという体験談です。
なんでもない午後が心に残ったのはなぜですか?
記事では「ただ一緒にいる時間」が特別だったと書かれています。何かを目指すわけでもなく、ただ並んで歩いた時間のほうが、華やかなデートよりずっと残ったようです。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

#ストーリー#なんでもない日#デート
このテーマを読む:初デート体験談

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