深夜のドライブで、全部話した夜
深夜12時、「少し走りましょうか」のひと言で車が動き出した。湾岸の夜景より、助手席で零れた言葉の方がずっとよかった、あの夜のこと。
深夜12時に、そう言われた。
「少し走りましょうか」
コートを羽織る間もなく、気づいたら助手席に座っていた。エンジンがかかって、ナビの画面に行き先は入力されないまま、車が動き出した。どこへ行くのかも聞かなかった。いや、聞けなかったのかもしれない。あの人がハンドルを握るときの横顔が、なんとなく、止まらないでいてほしいような顔をしていたから。
首都高の入口を過ぎたあたりで、ようやく聞いた。
「どこ行くんですか」
「どこでも」
それだけ。
窓の外を、夜の海が流れていった。湾岸線に出ると東京湾の黒い水面が見えて、向こう岸の工場の光がオレンジ色に滲んでいた。ラジオをつけたら、知らない曲が流れ始めた。ゆっくりしたテンポで、歌詞が聞き取れないくらい静かな曲。それがかえってよかった。沈黙を塗りつぶすでもなく、会話を遮るでもなく、ただそこにある感じ。
シートベルトの感触がやけにはっきりしていた。
走りながら、話した。
なぜあんなに話せたのか、今でもうまく説明できない。向かい合って座っていないから、顔を見なくていい。暗いから、どんな表情をしていても気づかれない。沈黙が来ても、音楽が静かに埋めてくれる。そういう条件が揃っていたから、というだけじゃなかったと思う。
「実は」という話をした。
仕事のこと。今の仕事が合っているのかずっとわからなくて、でも辞める勇気もなくて、毎朝なんとなく電車に乗っている、という話。家族のこと。母親とうまく話せなくなった時期があって、それがまだ少し続いている、という話。前の恋愛のこと。好きだったのに、なぜか最後の方は会いたくなくなっていた、という話。
カフェで友達に話す内容より、ずっと深いところにあるやつ。ふだん自分でも触らないようにしているところ。それがするするっと出てきた。
言いながら、「あ、言いすぎた」と思う瞬間が何度もあった。でも止まれなかった。
向こうも話してくれた。
「普段こんなこと言わないんですけど」という前置きがついてから、その人の話が始まった。仕事への違和感のこと。ひとりでいることへの慣れと、でも慣れたくない、という矛盾のこと。話しながらどこか遠くを見ているような目をしていた。ハンドルを握ったまま、信号待ちでも前を向いたまま。
私も前を向いたまま、聞いていた。
そのままでいいと思った。顔を見てしまったら、何かが変わりそうで。
高速を降りた。どこかの高台に続く細い道を上って、視界が開けた場所で車が止まった。
東京の夜景が、横に広がっていた。
六本木ヒルズの赤いランプが点滅していて、遠くにレインボーブリッジの光が見えた。手前には住宅地の窓の明かりがびっしりと並んでいて、それぞれの部屋に誰かの夜がある、と思った。深夜なのに、こんなにたくさん。
「よく来るんですか、ここ」
「来ることはないですけど」
少し間があった。
「来たかったんです」
「何のために」
聞いてから、少し後悔した。野暮な質問だったかもしれないと思って。でも答えが返ってきた。
「あなたと来たかったから」
夜景より、その言葉の方がよかった。
胸の奥が、ぎゅっとなった。なんと言えばいいかわからなくて、何も言えなかった。黙ったまま、また前を向いた。夜景が、さっきより少しだけぼやけて見えた。
あわせて読みたい
同じ会社の人を好きになってはいけないと思っていた
社内恋愛はしない、と決めていた。別れたら地獄になる、噂になる、仕事がやりにくくなる。でも田園都市線の朝の電車が、その決意をゆっくりと溶かしていった。
嬉しい、という言葉では全然足りない。もっと静かで、もっと深いところにある感覚。でもそれと同時に、「これでいいのかな」という気持ちもあった。好きかどうか、ではなくて。この夜が特別すぎて、このあとどうなるかが、少し怖かった。
帰り道、また高速に乗った。
行きと同じ道なのに、景色が違って見えた。ラジオの曲が変わっていた。さっきよりテンポが速い曲で、なんだか少し場違いな感じがして、二人で笑った。何がおかしいのかうまく言えなかったけれど、それでもよかった。
「また来ましょうか」
私が言ったら、「来ましょう」と返ってきた。
「今度は昼間に」と言ったら、「夜の方がいいです」と言われた。
そっか、と思った。昼間じゃない方がいい理由が、私にも少しわかった気がした。あの暗さと、顔が見えない感じと、音楽が埋めてくれる沈黙が必要だったのは、たぶん二人とも同じで。
あれから、また来た。
同じ湾岸線を、同じラジオをつけながら。助手席から見える景色は変わらないのに、話す内容は少しずつ変わっていった。最初はあんなに「言いすぎた」と思っていたのに、今は言い足りないことの方を考えている。
今でも思う。あの夜、どこへも行き先を入力しなかったのは、たぶん正解だった。行き先が決まっていたら、あんなに話せなかったと思う。
好きな人と走るとき、目的地はなくていい。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。