恋のアーカイブ
恋愛体験談

同じ会社の人を好きになってはいけないと思っていた

社内恋愛はしない、と決めていた。別れたら地獄になる、噂になる、仕事がやりにくくなる。でも田園都市線の朝の電車が、その決意をゆっくりと溶かしていった。

·橘みあ·6分で読める

社内恋愛はしない、と決めていた。


理由なんて、すぐに三つ出てくる。別れたときが面倒くさい。噂になる。仕事がやりにくくなる。恋愛と仕事は、きれいに切り分けておくほうがいい。そう信じていたし、そう信じていたかった。


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十一月の渋谷駅は、いつも人の体温でぬるい。


ハチ公口から地下に降りて、田園都市線のホームに向かう長い通路。その日も満員で、肩がぶつかりそうになりながら歩いていた。乗り換えの流れに乗って階段を降りたとき、ふと隣に彼女がいることに気づいた。同じ部署の、でも話したことはほとんどない、あの人。


「あれ、同じ方向ですか」


彼女が先に言った。私は少し驚いて、「そうみたいですね」とだけ答えた。それだけだった。本当に、それだけのことだった。


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それから毎朝、顔を合わせるようになった。


意図したわけじゃない。ただ出る時間が同じだっただけで、改札を抜けると自然に並んで歩いていた。最初は挨拶だけ。「おはようございます」「おはようございます」。それだけの関係が、冬が深まるにつれて、少しずつ変わっていった。


「昨日の会議、大変でしたね」

「今日また寒くなりましたね」


たわいもない言葉が、積み重なっていく。二子玉川を過ぎたあたりで座れるときは、隣に座るようになった。肩が触れそうで触れない距離。電車の揺れに合わせて、少しだけ体が傾く。窓の外は冬の多摩川で、水面が朝日でひかっていた。


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Spotifyの画面を、彼女に見られたのはいつだったか。


確か、二月に入ったころだったと思う。席が隣になって、イヤホンを片耳だけつけて音楽を聴いていたら、「あのミュージシャン好きなんですか」と彼女が言った。画面をのぞいていたらしい。


「好きなんですよ」と答えたら、「私も」と言った。


それだけで、何かが変わった気がした。変わった、というか、何かが動いた。胸の中の、静かな場所が。


その日から、イヤホンを片方ずつ分けて聴くようになった。左耳と右耳。同じ音楽が、二人の間を流れていく。窓の外の景色が流れて、電車が揺れて、どちらも何も言わないまま、曲が終わった。


これは、なんだろう。


そう思いながら、思わないふりをした。


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気づいたのは、ある朝のホームだった。


私が少し遅れて改札を抜けると、彼女がもう来ていて、人混みの中から手を振ってきた。小さく、でも確かに。


胸の奥がじわっとした。


温かい、というより、痛い。でも痛くない。そのどちらとも言えない感覚が、肋骨の裏側あたりに広がって、私はその瞬間、ああそういうことか、とわかってしまった。


好きだ。


わかってしまったのが、少し、怖かった。


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三週間、迷った。


「もし振られたら、毎朝電車で顔を合わせるのが地獄になる」という恐怖は、本物だった。改札を抜けるたびに顔を背ける未来。会議室で目が合わないようにする未来。田園都市線が、通勤という名の罰になる未来。


頭の中でシミュレーションしては、やめようと思った。思っては、でもと思った。


深夜、Spotifyで彼女に教えてもらった曲を聴きながら、スマホの画面を天井に向けて、いつまでも眠れない夜があった。言えばいい、とわかっていた。言えない理由も、ちゃんとあった。その両方が本当で、どちらも嘘じゃなかった。


好きと、違うかもしれない、が、同時に自分の中にあった。


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結局、言ったのは月曜日の朝だった。


渋谷を出て、池尻大橋を過ぎたあたり。電車の中は混んでいて、でも二人分のスペースだけ、静かだった。


「好きです。迷惑だったら、ごめんなさい」


言ってしまってから、心臓がうるさかった。電車の音が遠くなった。彼女が少し間を置いて、


「迷惑じゃないです」


と言った。それだけだった。でも、それで充分だった。


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付き合い始めてから、社内では何も変わらなかった。


会議室では普通に話して、廊下ですれ違っても軽く目を合わせる程度。噂にはなっていないと思う、たぶん。仕事がやりにくくなったかといえば、なっていない。あの頃の私が恐れていたことは、今のところ、何も起きていない。


でも毎朝の電車が、変わった。


隣に座るのが当たり前になって、イヤホンを片方渡すのも、ただそれだけのことになった。渋谷から二子玉川まで、窓の外に多摩川が見えたり見えなかったりして、曲が流れて、電車が揺れる。彼女の肩が、私の肩に触れている。


それだけのことが、今は一番、大切な時間だと思っている。


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社内恋愛はしない、と決めていたのは、怖かったからだ。


傷つくのが怖かったし、傷つけるのも怖かった。毎朝会う人を好きになるのは、逃げ場がなさすぎる。だからルールを作って、最初から近づかないようにしていた。


でも彼女は、渋谷駅の人混みの中から、手を振ってきた。


怖いまま、言った。それが全てだった。


怖くなくなってから動こうとしても、その日は永遠に来ない。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

このテーマを読む:告白体験談

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