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恋愛体験談エッセイ

フルマラソンの翌日に初デートがあった夜。後悔しなかった話

東京マラソンを完走した翌朝、太ももが鈍く軋んで起き上がれなかった。その日の午後に初デートの約束があった。かっこいいところは何ひとつ見せられなかった。でもあの4時間が、たぶん人生でいちばん正直な自分だった体験談。

24歳・女性の体験
·橘みあ·6分で読める

正直に言う。足が痛いまま初デートに行ったのに、後悔しなかった。


目が覚めた瞬間、天井が遠かった。身体が布団に縫いつけられているみたいで、指先から確かめるように動かしてみたら、太ももが鈍く軋んだ。起き上がろうとして、できなかった。正確には、起き上がるという動作がこんなに複雑だったことを、昨日まで知らなかった。


東京マラソンを完走した、翌朝のことだ。


スタートは都庁前。42.195キロを、6時間かけて走り抜けた。銀座の石畳を踏んで、品川の折り返しで「まだ半分ある」と思って、浅草雷門の前で足を引きずった。ゴールテープを越えたときは泣くと思っていたのに、ただ空を見上げていた。青かった。それだけを覚えている。


それでも出かけた


そして今日は、初デートだった。


マッチングアプリで出会って3週間。メッセージのやり取りだけで、会うのは今日がはじめて。待ち合わせは代官山の蔦屋書店前、午後1時。前から決まっていたことで、東京マラソンの翌日になってしまったのは、完全に私の計算ミスだった。


彼女には、言えていなかった。


言えなかった、が正しいかもしれない。「実はマラソン走るんです」から始まる自己紹介が、なんとなく重たい気がして。ちゃんと会ってから話せばいい、と後回しにしていたら、前日になっていた。


ベッドの縁につかまって、ゆっくり立ち上がる。両足がじんじんと熱を持っていた。壁に手をついて廊下を歩き、階段を一段ずつ降りる。普段なら10秒で降りられる場所に、倍以上かかった。キッチンでコーヒーを淹れながら、スマホを開く。LINEの画面。彼女との会話。最後のメッセージは昨夜の「明日楽しみにしてます」。


「どうしよう」と打ちかけて、消した。


何を送っても変だ。「実は昨日マラソン走ってまして、足が動かないんですが」って、どんな言い訳だ。日程を変えてもらうのも申し訳ない。それに、少しだけ正直に言うと、会いたかった。足が動かなくても、それでも会ってみたかった。


出かけた。引きずりながら。


渋谷駅から東横線に乗って、代官山で降りる。改札から地上に出る階段が、小さなエベレストみたいだった。手すりを両手でつかんで、一段ずつ。後ろから来たサラリーマンに軽く追い抜かれた。


歩き方、おかしくないですか


蔦屋書店の前に着いたのは、1時ちょうど。


彼女はすでにいた。黒いコートに、マフラー。アプリで見た写真より、少し小柄だった。目が合って、軽く手を振ってくれた。


「こんにちは、」


「こんにちは。あの、」


開口一番、彼女が言った。「歩き方、おかしくないですか」


胸のあたりが、ぐっと縮んだ気がした。恥ずかしいとか、焦るとか、そういう感情の前に、ただ体温が上がった。見られてた、と思った。ちゃんと見てる人なんだ、と思った。


「……言います?」


「気になります」


「昨日マラソン走りました。42キロ」


彼女の目が、丸くなった。


「え?それで来たんですか?」


「すみません、言えなくて」


「全然謝らなくていいですけど、」彼女が笑い始めた。肩を揺らして、少し俯いて。「すごいですね、なんか」


「すごくないです、ただの準備不足です」


「じゃあ今日は座れる場所にしましょう」


そう言って、先に歩き始めた彼女の後ろを、私はよちよちとついていった。


入ったのは近くのログロードにあるカフェ。窓際の席に座って、コーヒーを頼んだ。陽が傾くまで、4時間。私はほとんど動かなかった。トイレに行くたびに「大丈夫ですか」と心配された。


かっこいいところは、何ひとつ見せられなかった。


でも話した。マラソンを走り始めたきっかけ、はじめてのフルマラソンで35キロ地点でリタイアしたこと、それが悔しくて今回出直したこと。彼女はずっと聞いていた。相槌が、丁寧だった。話の腰を折らない人だと思った。


「マラソン走れるんですね」と言われた。


「普通の人より完走できます」と答えた。正確には意味がよくわからない言葉だったけど、彼女は笑ってくれた。


「じゃあ今度一緒に出ましょうか」


「10キロくらいなら」


「約束ですよ」


帰り際、代官山駅まで一緒に歩いた。私のペースに合わせて、彼女がゆっくり歩いてくれた。それが少し、胸に刺さった。刺さったけど、痛くはなかった。そういう感覚。


電車の中で、今日のことをずっと考えていた。


かっこいいところを見せようとしていた自分が、どこかにいたと思う。初デートだから、スマートに、余裕があるように、面白い話のひとつでも。でも実際には、階段すら満足に降りられなくて、歩き方を指摘されて、座ったままコーヒーを飲んでいるだけだった。


それで、良かった気がする。今でもそう思う。


等身大というか、それ以下というか。ボロが出たのではなくて、最初からボロしかなかった。でもそのボロを笑いに変えてくれた人と、これから会っていけるなら、たぶんそれは続く。取り繕った自分を好きになってもらうより、ずっと。


完璧な初デートなんて、きっとどこにもない。


格好がつかないことが、一番正直な自己紹介になるのに。

よくある質問

東京マラソンを完走した翌日に初デートだったのはなぜですか?
もともとその日程で初デートの約束が入っていたようです。42.195キロを6時間かけて走り抜けた翌朝、太ももが軋んで起き上がれない状態のまま向かったとのことです。
デートの相手はマラソン完走のことを知っていたのですか?
記事の詳細からは明らかではありませんが、ボロボロの状態で現れた筆者を相手がどう受け取ったか、そのやりとりが体験談の核になっています。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

このテーマを読む:初デート体験談

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