誕生日サプライズが盛大に失敗した夜
1月の夜、表参道のビル前で4時間待った。花束は萎れ、フレンチの予約は消え、残ったのはデニーズと、止まらない笑い声だけだった。
あの夜のことを話すとき、私はいつも笑いながら始める。
笑えるようになったのはわりと最近で、当時は笑えるとかそういう話じゃなかった。ただ寒くて、足の感覚がなくて、手に持った花束がじわじわと首を垂れていくのを見ていた。
1月の第2週。表参道の裏路地に、ひとつだけ予約が取れたフレンチがあった。友人に「ここ記念日向き」と教えてもらった店で、ランチとディナーで客層がまるで違うと聞いていた。ディナーは19時半から。彼女の会社のビルは歩いて10分もかからない場所にあった。計画としては、完璧だった。
退勤は17時の予定だった。だから私は16時50分に、ビルのエントランス脇に立った。花束を持って。花はスーパーで選んだやつで、ラッピングが少し素朴だったけど、彼女が好きなオレンジ色の花を中心に束ねてもらった。店員さんが「どんなシーンで?」と聞いてくれて、「誕生日サプライズ」と答えたら「素敵ですね」と言ってリボンを足してくれた。
その段階では、全部うまくいくつもりだった。
17時。自動ドアは開かなかった。
17時15分。17時半。
18時を過ぎた頃、外気が体のどこかを通り越して骨に届いた気がした。気温4度。ダウンを着ていたけど、足元からじわじわと熱が地面に吸われていく。コンビニで使い捨てカイロを2個買って、ダウンの内側に貼った。ホットコーヒーを買って、飲んで、また買いに行った。3本目を飲み終えたとき、LINEが届いた。
「今日遅くなりそう、ごめん」
そりゃそうだ、と思った。4時間この場所にいる人間に、そんな連絡が来るのは当然だ。「大丈夫、待ってるよ」と返しながら、自分でも何をしているんだろうと少しだけ思った。少しだけ。
花束は1時間半くらいで少し頭を垂れ始めた。気のせいかもしれない、と思った。でも2時間後には気のせいじゃなかった。
フレンチのキャンセルは電話でした。「当日直前のキャンセルになるので」と言われて、5000円のキャンセル料が発生した。スマートフォンを持つ手が、寒さなのか別の何かなのか、微妙に震えていた。うなだれた。ビルのエントランス前でひとりで、うなだれた。
21時15分。
自動ドアが開いて、彼女が出てきた。
私の顔を見た瞬間、彼女の表情が「驚き」を通り越して「心配」に変わった。それが全部の答えだった。サプライズとして登場するはずが、「寒空の下で4時間立っていた人」として発見された。ロマンティックな再会じゃなかった。
「え、なんで……」
「誕生日だから」
「どのくらい……いたの?」
「4時間くらい」
「は? 大丈夫、体が?!」
心配が、サプライズより先に来た。
「フレンチ予約してたんだけど」
「え」
「もう閉まった」
「……え?」
彼女が口に手を当てた。笑いをこらえている顔だった。成功したサプライズを受け取る顔じゃなくて、笑いをこらえている顔。私は少しだけ、本当に少しだけ、傷ついた。同時に、その顔が愛しくてたまらなかった。矛盾してる。でもそういうものだと思う、あの瞬間は。
「ファミレスでいい?」
「全然いい」
ビルの近くのデニーズに入った。暖かかった。椅子に座った瞬間、体の芯から何かが解けていく感覚があった。足の指先が、じんじんと戻ってきた。席についてから、持ったまま忘れていた花束を出した。萎れかけていた。
「お誕生日おめでとう」
「……ありがとう」
彼女が笑い始めた。最初は声を殺していた。でも止まらなくなった。テーブルに肘をついて、肩を揺らして。
「何で笑ってるの」
「だって、4時間って……フレンチのキャンセル料って……花束が萎れてるって……」
私も笑い始めた。
深夜のデニーズ。蛍光灯の白い光。パスタを頼んで食べた。デザートにパフェを頼んだ。夜の11時にパフェ。彼女が頼んだイチゴパフェが写真で見るより3割増しくらい大きくて、2人でまた笑った。
BGMにSuperfly の曲がかかっていた。季節と全然合わないポップな曲で、それがまた何かを緩くした。
「今年の誕生日、一番笑った」と彼女が言った。
「来年もこれくらい笑えるといいね」と返したら、「来年はフレンチで笑いたい」と言われた。
家に帰ってから、萎れかけた花束を水に差した。翌日の朝、見たら持ち直していた。ちゃんとオレンジ色のまま、立っていた。
今になって思う。
あの夜に私が用意したもの——フレンチのコース、完璧なタイミング、リボン付きの花束——は全部、うまくいかなかった。でも4時間分の体温と、キャンセル料5000円と、萎れかけた花束は、嘘をつかなかった。計画は崩れたけど、そこにいた私は本物だった。彼女が笑ったのは、たぶんそのことに気づいたからだと思う。
記念日は、完璧じゃなくていい。
その夜いちばん残ったのは、深夜のデニーズの蛍光灯の下で、彼女が肩を震わせて笑っていた顔だった。フレンチのキャンドルより、ずっと明るかった。
失敗したサプライズは、成功したサプライズより長く、あたたかく、記憶に居座る。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。