終電を逃した夜、タクシーの中で
4回目のデートで終電を逃した。タクシーの後部座席、彼の肩に頭をもたせかけたまま、小さな声を聞いた。目を開けたら壊れる気がして、私はずっと眠ったふりをしていた。
4回目のデートで、終電を逃した。
意図的に、かどうかは自分でもわからない。
彼とはタップルで出会った。プロフィール写真より実物のほうが全然よくて、1回目のデートのあと電車の中で「あれ、好きかも」って思いながらスマホの画面を閉じた、そういう相手。新宿三丁目の焼き鳥屋「てけてけ」、カウンター席、3月の湿った空気に炭火の煙が溶けていた。
生ビールが進みすぎた。
彼が「中学のとき、ガチでUFO見た」と言い始めてから止まらなかった。目撃証言を語る顔が本気すぎて、おかしくて、私もつい「修学旅行で枕投げして先生の入れ歯飛ばした」話を出した。隣のテーブルの知らない人たちまで振り向いて笑ってた。串から外れた肉が皿に落ちるたびに「あ」って言って、また笑った。いつの間にかビールが何杯目かもわからなくなって、焼き鳥の油と炭の匂いと、彼の笑い声だけが世界になっていた。
時計を見たら23:42。
「やば、終電」
「え、何線?」
「田園都市線。三軒茶屋」
「あ、もう無いね」
普段の私は終電チェッカーのアプリを入れてる。出発30分前にアラームをかける。合コンでも友達との飲みでも、絶対に逃さない。それなのに、この夜は一度も時計を見なかった。楽しすぎたから。いや、本当のことを言えば、見たくなかったんだと思う。時計を見れば終わりが来る。終わりが来れば、帰らなきゃいけない。
店を出た。歌舞伎町のネオンが目に刺さる。3月なのにまだ風が冷たくて、薄手のコートの前を合わせた。ワンピースの膝が心もとない。吐く息が白い。
「タクシーで送るよ。三茶なら近いし」
彼が何も言わずにマフラーを外して、私の首に巻いた。ポール・スミスの紺のマフラー。まだ彼の体温が残っていて、首元がじんわりあたたかくなる。柔軟剤の匂い。レノアかな。なんか実家を思い出す、あの、洗い立てのタオルの匂い。
胸の奥が、ちょっとだけ揺れた。
タクシーに乗り込む。後部座席。近い。太ももが触れそうな距離。外を流れていく新宿の夜。ビールの酔いと、疲れと、彼の隣にいる変な安心感が混ざり合って、意識がとろとろしてきた。目蓋が重い。これは演技じゃない。本当に眠い。でも、眠りたくない。もったいなくて。
いつの間にか、頭が彼の肩に触れていた。
半分は本当に眠かった。半分は、こうしたかった。その境界線が自分でもわからないまま、私は目を閉じた。
246沿いを走る。街灯が瞼の裏で白く明滅する。タクシーのウィンカーがカチカチと鳴る。彼の呼吸の音が、すぐそこにある。
聞こえた。
「……好きだ」
小さな声。独り言みたいな。私が寝ていると思って言ったのが、わかった。声に、そういう感じがあった。誰にも届けないつもりの、ひとりごと。
目を開けなかった。
開けたら壊れる。この瞬間が、この声が、なんか全部壊れる。そう思ったら心臓がうるさくなった。こんなに鼓動が速いのに彼に聞こえないのが不思議で、でも肩越しに彼の鼓動も感じたら、同じくらい速くて。
おかしくなりそうだった。好きって気持ちと、これ本当にどうしようっていう焦りと、もう少しだけこのままでいたいっていう、矛盾した全部が同時にあって。
三軒茶屋。タクシーが止まった。
ゆっくり目を開けるふりをして、「ありがと、ここでいいよ」と言った。ドアを開けて、降りて、振り返った。街灯の下で彼の顔を見た。
「ねぇ」
「ん?」
「さっきの、聞こえてた」
一瞬、彼の顔が止まった。それからみるみる赤くなった。耳まで。首まで。
「……聞こえてた?」
「うん」
沈黙。タクシーのエンジン音だけが低く響く。バックミラーの運転手さんがこっちを見てニヤニヤしてるのが見えた。なのに、なぜか恥ずかしくなかった。
「私も。好き」
言ってしまった。4回目のデートで。タクシーの横で。運転手さんの前で。ワンピースに他人のマフラー巻いたまま。全然ロマンチックじゃない、こんな場所で。でも、これ以上のタイミングはなかった。絶対に。
彼がタクシーから降りてきた。私の前に立った。目がちょっと潤んでる。街灯の光が、横顔に落ちてた。
「本当に?」
「本当に」
抱きしめられた。マフラーごと。ポール・スミスの紺のマフラーと柔軟剤の匂いに包まれて、私は目を閉じた。3月の夜、三軒茶屋の交差点、冷たい空気の中で、首元だけがあたたかかった。
運転手さんがクラクションを短く一回鳴らした。
「お二人さん、おめでとう。メーター止めときますね」
神か、と思った。
あれから1年。今でも終電を逃すと、あの夜が戻ってくる。だから二人で飲む時は、わざと逃すことにした。「てけてけ」には月に一回は行く。UFOの話と入れ歯の話は毎回出て、毎回笑う。ポール・スミスのマフラーは今も彼の手元にある。私のクローゼットの中じゃなくて彼のところに、というのが、たぶんこの話のいちばん正直な結末だ。
好きって言葉は、ちゃんと届く。たとえ、寝たふりの耳にも。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。