大雨の日に予定変更して、居酒屋でずっと話した夜
台風で映画が流れた夜、渋谷の居酒屋で5時間話した。計画通りにいかない夜ほど、ずっと覚えている。
台風が来なければ、たぶんあの夜は何も起きなかった。
10月の終わり、渋谷のTOHOシネマズで映画を観る予定だった。公開初週の話題作で、二週間前にチケットも取っていた。だけど前日の夜から雨脚が強くなって、朝起きたらスマホの通知が鳴り続けていた。電車の遅延、暴風警報、都内の交通情報。窓の外は、白っぽく霞むほどの雨だった。
「どうしますか」
彼からのLINEを見たのは、昼過ぎだった。既読をつけたまま、少し考えた。やめようかな、とも思った。雨の日にわざわざ会いに行くほど、まだ好きかどうかわからなかったから。マッチングアプリで知り合って、会うのはまだ二回目。好感は持っていたけれど、確信みたいなものは何もなかった。
「せっかくだから会いましょう」
打ってから、送ってから、ちょっとびっくりした。私、行く気だったんだ。
渋谷駅の東口で合流したのは、夕方の六時ごろだった。傘を差していても意味がないくらいの雨で、スニーカーの中まで水が入ってきていた。彼も同じだったらしく、改札から出てくるなり「ひどいですね、これ」と笑っていた。ひどいね、って笑い合えるだけで、少しだけほっとした。
近くの居酒屋に駆け込んだ。スペイン坂の裏のほう、ビルの地下にある、カウンターと小上がりだけの小さな店。奥のボックス席に通されて、濡れたコートをハンガーに引っかけたとき、なんか旅先みたいだな、と思った。予定が全部なくなった夜の、どこか浮き足立った感じ。
「どうする?」って聞いたら、「話しましょうか」と返ってきた。
ビールを頼んで、枝豆が来て。最初は本当に他愛もない話から始まった。仕事が最近しんどいこと、好きなドラマの話、子どもの頃どんな子だったか。でも映画があったら絶対しなかったような話ばかりで、それがなんかおかしくて、途中から二人ともずっと笑っていた気がする。
お酒が二杯目になったころ、少し空気が変わった。
「なんでアプリ使おうと思ったんですか」って、彼が聞いた。
「正直に言うと」って私は答えた。「出会いに疲れてたんですよ、本当は」
言葉にしてみたら、思っていたより正確だった。合コンで愛想笑いをして、紹介してもらった人と連絡先を交換して、何回かデートして、ふわっと終わる、を繰り返していた。好きになれなかったのか、好きになる前に終わったのか、もうどっちかもわからなくなっていた。友達に「アプリ試してみなよ」って言われて、半信半疑のまま登録した。もう一回だけ、って思って。
「最後の一回が当たりだといいですね」って彼が言った。
「当たりかどうかはまだわからないですけど」って笑ったら、少し間があって。
「今日は当たりだと思ってますよ」
胸のあたりが、ぐっとなった。うれしいというより、困る感じ。ちゃんと受け取っていいのか、まだわからなかったから。少し黙って、「私も」とだけ言った。
そこからまた話した。彼の話す仕事のこと、転職を迷っていること、去年の失恋がまだどこかに引っかかっていること。私も話した。結婚を意識してるかどうか、親との関係、将来どんな場所に住みたいか。居酒屋の小上がりで、二人で向かい合って、そういう話をするのが初めてだとは思えないくらい、言葉が続いた。
でも正直に言うと、全部が全部すっきりしていたわけじゃない。話しながらどこかで、「この人のことが好きなのかな」っていう問いが、静かに浮かんでは消えていた。好感はある。話していて楽しい。でも好き、とはまだ違うかもしれない。その「違うかも」と「でも楽しい」が、同時にあった。どっちが本当かは、わからないまま夜が続いた。
気づいたら、23時を過ぎていた。
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「もうこんな時間か」って彼が言って、スマホで時刻を確認したら五時間経っていた。映画なら、とっくに終わって家に帰っているはずの時間。窓のない地下の店だから、外の雨がいつの間にか止んでいたことにも、さっきまで気づかなかった。
「台風でよかったかもしれない」って彼女が——じゃなくて、私が言った。「映画よりずっと話せた」
彼は少し笑って、「そうですね」って言った。
店を出たら、渋谷の路面がオレンジ色に光っていた。雨上がり特有の、アスファルトが反射する色。センター街の方から人の声がして、でも私たちの周りだけ、なんか静かだった。
今ならわかる。予定が崩れた夜ほど、覚えていることが多い。それはたぶん、「次何話そう」とか「この映画どうだったっけ」とか、余計なことを考えなくてよかったから。ただそこにいて、ただ話して、それだけだった。
台風に感謝するのも変な話だけれど。
計画を狂わせるものが、たまに一番大切な夜を連れてくる。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。