86分間ほぼ黙った初デートで、「また会いたい」と言われた
人見知りすぎて言葉が出なかった。でも沈黙の向こう側に、何かが通じていた。
私は、人見知りだ。
筋金入りの。DNAレベルの。コンビニで「袋いりますか?」と聞かれただけで声が裏返るタイプの人見知り。
22歳、出版社の校正部。仕事は文字を読むだけだから会話は最小限で済む。ランチは一人でデスクでおにぎり。歓迎会は毎回「体調が」で逃げた。友達は3人。うち2人は高校からの付き合いで、残り1人は猫カフェで隣の席だった人。
そんな私がwithを始めたのは、母親に「あんた、このまま一人で死ぬ気?」と正月に言われたから。心理テストで相性がわかるっていうから、会話力ゼロでもなんとかなるかもしれないと思った。甘かった。
マッチした人とのメッセージは、意外と楽しかった。文字なら考える時間がある。推敲できる。3分かけて「笑」を入れるかどうか悩める。対面じゃないと、私は饒舌になれる。詐欺みたいだなと思った。
彼——タクミさんとマッチしたのは、2月の終わり。心理テストの相性92%。プロフには「映画と読書が好き。静かな場所で過ごすのが落ち着く」と書いてあった。写真は神楽坂の路地裏で撮ったっぽい横顔。穏やかな印象。
メッセージでは話が弾んだ。新海誠の映画が好きだという話、米津玄師の「Lemon」を聴くと必ず泣くという話。彼の文章は丁寧で、「。」の使い方が綺麗だった。校正の仕事をしてるとそういうところが気になる。
2週間やりとりして、「会いませんか」と言われた。
来た。恐れていた瞬間が。
断る理由がない。断りたくもない。でも会ったら終わる。メッセージの饒舌な私と、実際の私は別人だ。がっかりされる。絶対にがっかりされる。
「ぜひ」と打った。指が震えた。
当日。待ち合わせは吉祥寺駅の公園口。14時。
朝から3回着替えた。最終的にZARAの淡いブルーのワンピースに白のカーディガン。無難。おかしくないよね。鏡を4回確認した。
吉祥寺に着いた。13時45分。早く着きすぎた。ベンチに座って、スマホを握りしめた。手のひらが汗で濡れている。3月なのに。気温12度なのに。
14時ちょうど。改札から出てきた人の中に、彼がいた。写真通りの穏やかな顔。背は高め。グレーのニットにチノパン。ポール・スミスっぽいトートバッグ。
目が合った。
——ここから先の記憶が、ほとんどない。
正確に言うと、あるんだけど、恐怖で上書きされている。
「あ、こんにちは」
彼が言った。
「……」
出なかった。声が。物理的に、喉が閉じた。
数秒の沈黙。彼がちょっと首を傾げた。
「えっと、ユイさん?」
「は、はい」
それだけ。それだけ出すのに全エネルギーを使った。
井の頭公園を歩いた。桜にはまだ早い、灰色がかった3月の公園。池の水面にカモが浮いている。
彼が「池、きれいですね」と言った。
「……」
うなずいた。声が出ないからうなずくしかない。
彼が「カモって冬もいるんですね」と言った。
「……はい」
会話、崩壊。完全に崩壊。
カフェに入った。公園の近くのスタバ。チャイティーラテのホットを注文——できなかった。メニューを指さして、店員さんに「これ」と言うのが精一杯。彼がソイラテを頼んでいるのが聞こえた。
向かい合って座った。テーブルを挟んで60センチ。近い。彼の顔が近い。鼻の横に小さなほくろがある。メッセージの画面では見えなかった。
沈黙。
10秒。30秒。1分。
彼がスマホを取り出した。あ、やっぱり。退屈だよね。帰りたいよね。こんな喋らない女と2時間も——
「あ、この本読みました?」
彼がスマホの画面を見せてきた。Amazonの画面。村上春樹の新刊。
首を縦に振った。読んだ。先月読んだ。
「どうでした?」
「……よ、よかった、です」
よかったです。なにその感想。小学生か。校正の仕事してるくせに、語彙力が蒸発している。
彼が少し笑って、「俺もよかったです」と言った。それから、彼は自分の感想を話し始めた。主人公の孤独について。物語の中の猫の役割について。
私は聞いていた。ただ聞いていた。時々うなずいて、時々「はい」と言って、一度だけ「私もそう思います」と言えた。
彼は急かさなかった。私の沈黙を埋めようとしなかった。話して、少し黙って、また話して。間をくれた。
窓の外の光が傾いて、テーブルに長い影が落ちた。チャイティーラテは冷めていた。飲むタイミングも逃すくらい緊張してたから、半分以上残ってる。
1時間26分。スタバにいた時間。そのうち私が話した合計は、たぶん4分もない。
店を出て、駅に向かった。吉祥寺のサンロード商店街。人が多い。彼が人混みの中で、自然に車道側を歩いてくれた。何も言わずに。
改札前。
「今日はありがとうございました」
彼が言った。
「あ、あの」
声が掠れた。
「ごめんなさい。私、全然喋れなくて。メッセージと全然違くて。ほんとにごめんなさい」
目が熱くなった。泣くな。初デートで泣くな。
彼は少し黙って、それから言った。
「また会いたいです」
耳を疑った。
「え?」
「ユイさん、話すの苦手って言ってたけど、聞いてくれてるのすごいわかった。俺の話に、ちゃんとうなずいてくれてたし」
「でも私、86分くらい黙って——」
「86分って。計ってたの?」
「時計、ずっとチラチラ見てたので……」
彼が笑った。声を出して。それから少し真面目な顔になった。
「俺ね、前に会った人は、ずっと自分の話ばっかりしてたんですよ。俺の話に興味なさそうで。でもユイさんは、村上春樹の話した時、身を乗り出して聞いてくれてた。自分では気づいてないだろうけど」
身を乗り出してた? 記憶にない。でも彼が言うなら、そうだったのかもしれない。
「だから、また会いたいです。今度は、ユイさんの好きな本の話、聞かせてください。1分でも2分でもいいから」
唇が震えた。鼻の奥がツンとした。
「……はい」
涙が一筋、頬を伝った。
2回目のデートは、1週間後。神楽坂の古本屋を2人で回った。私は彼に、好きな短編集の話を3分くらい——3分だけど——できた。
3回目は、表参道の美術館。展示の感想を少しだけ言えた。彼が「それいい視点だね」と言ってくれて、顔がぶわっと熱くなった。
4回目。6回目。10回目。
少しずつ、少しずつ、喋れる時間が伸びていった。5分。10分。30分。
半年後。自由が丘のカフェで、気づいたら2時間喋り続けていた。彼が「今日よく喋るね」と笑って、私は「え、そう?」と返した。
そう。いつの間にか、「え、そう?」が自然に出る人になっていた。この人の前では。
告白は彼から。目黒川沿い。桜の季節。
「好きです。ユイさんの、静かなところが」
静かなところが好き。喋れないことを欠点じゃなく、そう言ってくれた。
86分の沈黙は、きっと人生で一番長い86分だった。でもあの沈黙がなかったら、私は「聞いてくれる人」だと気づいてもらえなかった。
黙っていても伝わるものは、ある。ただし、ちゃんと聞いていれば。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。