恋のアーカイブ
恋愛体験談

一人旅で出会った人と、帰国後も続いた縁の話

頭を空にしたくて取った京都の宿で、見知らぬ人に正直になれた夜があった。旅先の出会いは続かないと聞いていたのに、この人とは続いた。

·橘みあ·5分で読める

頭を空にしたかった。それだけだった。


仕事のことも、終わった恋愛のことも、ぜんぶ鞄に詰めたまま持ち歩いていた十月の終わり。スマホで「京都 ゲストハウス 一人」と検索して、値段と雰囲気だけで予約を押した。深夜の自分の部屋で、画面の光だけが白かった。


---


三条駅から歩いて五分、小さな木の看板が目印の宿だった。格子戸を開けると、古い町家を改装したロビーにほんのり出汁の匂いがした。チェックインを済ませて部屋に荷物を置いて、やることがなくなった。


それで一階のラウンジに降りて、冷えたビールを一本頼んだ。


窓の外、細い路地に街灯が落ちている。観光客らしき人たちが笑いながら通り過ぎていく。私はその光景をガラス越しに眺めながら、グラスを傾けた。賑やかな場所にいる一人の静けさ。それが、そのとき私に必要なものだった気がする。


「一人ですか」


振り返ったら、男の人が立っていた。同じ宿に泊まっている、と彼は言った。迷惑でなければ、と前置きして同じテーブルを指さした。ラウンジに他に人がいなかったから、私は「どうぞ」と言った。断る理由がなかっただけで、正直、少し面倒だとも思っていた。


でも、話し始めたら止まらなかった。


出身はどこか、仕事は何か、なぜ京都に来たのか。旅先特有の、名刺もSNSも関係ない会話。東京での日常から切り離された場所にいるせいか、自分でも驚くくらい素直に言葉が出てきた。ビールが二本になって、三本になった。


---


翌朝、宿の玄関で鉢合わせた。


「今日どこ行くんですか」

「まだ決めてないです」

「じゃあ一緒に」


それだけで、嵐山まで行くことになった。


十一月の嵐山は、紅葉にはまだ少し早かった。竹林の道を歩くと、上から差し込む光が青白くて、観光地なのに静かだった。二人並んでぼんやり歩きながら、昨夜の続きを話した。仕事の話、東京での話。そして気づいたら、恋愛の話になっていた。


「最近、うまくいかないんですよね」


自分で言ってから、少し驚いた。こんなに正直に言えるのか、と。東京の友達にだって、ここまでストレートには言えなかった気がする。


「僕もそうです」


彼は前を向いたまま、短くそう言った。


嵯峨野に入ると、田んぼの畦道に猫が一匹いた。二人で同時に立ち止まって、猫が去るまで黙って見ていた。それがなんか、おかしくて。笑った。声を出して笑ったのがいつぶりか、わからなかった。


好きだとか、気になるとか、そういう感情とは違う何かが、そのとき胸の中にあった。でも「違うかも」という気持ちも同時にあった。旅の場所だから、と自分に言い聞かせるような、引き算の気持ち。


---


三日目の夜、先斗町で食事をした。


木屋町通りに並行して走るあの細い路地、提灯の赤い光、石畳に水の匂い。鴨川の風が入ってきて、秋の終わりが皮膚に触れた。小さな京料理の店で向かい合って、日本酒を頼んだ。


「また会えますか」


言ってから、少し後悔した。重かったかな、と思った。でも取り消せなかった。


「東京なら」

「東京です」

「じゃあ会えますね」


彼はそう言って、盃を傾けた。表情は穏やかで、言葉は短くて、それ以上でも以下でもなかった。私はその短い会話をどう受け取ればいいか、最後まで決められなかった。期待していいのか、していいとしてどのくらい、というのが、帰りの新幹線の中でもずっとわからなかった。


---


東京に戻って数日後、LINEが来た。


「先週の京都、楽しかったです」


たったそれだけの文面を、なぜか三回読んだ。


会うことになった。渋谷でも新宿でもなく、国立の小さなカフェだった。彼が「静かなところが好きで」と言って選んだ店。窓際の席で、ホットコーヒーを飲みながら、また話した。旅の場所じゃないのに、同じように話せた。それが、何より答えな気がした。


「旅で知り合ったんですか」と人に聞かれると、「京都のゲストハウスで」と答えている。


そのたびに、少し特別な感じがする。嵐山の青白い竹の光とか、先斗町の提灯の赤とか、猫が畦道を横切っていく静けさとか。そういうものを一緒に持っている人が、日常の中にいる。


旅先の出会いは続かないことが多い、と誰かに聞いていた。だから続いたとき、少し驚いた。でも今ならわかる気がする。続いたのは旅の魔法のせいじゃなくて、あの場所でだけ正直になれた自分の言葉が、本当のことだったからだ、と。


頭を空にしたくて取った宿で、空になった分だけ、入ってきたものがあった。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

この記事が刺さったら、シェアしてください

恋愛体験談」はまだ 185 本あります

恋愛体験談をすべて読む

次の記事

「違うな」と思ったとき、どうやって断るか