六本木のギャラリーで知らない女性に話しかけられて、私はずっと探していたものの名前を知った
10月の木曜日、人のいない写真展で声をかけてきた女性と3時間話した。同じ一枚を見て、まったく違うものを受け取った。それがこんなに心地よいと、それまで知らなかった。
10月の終わりの木曜日、私は一人で六本木のギャラリーにいた。
平日の昼下がり。ヒールの音が響くほど静かで、空調の低い音だけが続いていた。白い壁にモノクロの写真が並んでいた——東京の夜、誰もいない交差点、雨に濡れたアスファルト、窓の向こうにぼんやり滲む部屋の光。全部、誰かが「いない」場所を撮っていた。いなくなった後の場所か、最初から誰もいなかった場所か、見ているだけではわからない。そのわからなさが、なぜか好きだった。
一枚ずつ、止まった。急がなかった。平日に一人で来るのはそういうためで、誰かと来ると「どうだった?」と言葉にしなければならなくなる気がして、いつも一人で来ていた。言葉にする前の、まだふわふわした感触のまま持っていたかった。
奥へ進んで、一番大きな一枚の前で足が止まった。縦1メートルを超えるくらいの写真で、夜の高架下を撮ったものだった。光源は一点だけ。その光の周りに、深くて重い影が広がっていた。光があるのに、暗い写真だった。光があるから、余計に暗く見えた。しばらく、動けなかった。
「この写真、好きですか?」
声がした。振り向くと、知らない女性が立っていた。30代前半くらい。黒いトートバッグ、ざっくりしたコートの襟。アートの場所にいる人の空気があった。唐突な問いかけで、一瞬「なんですか急に」という気持ちが走ったけど、気づいたら「好きです」と答えていた。
「なんで?」
「この光の入り方が、ちょっと……悲しい感じがして」
言いながら、悲しいは違うかもと思った。でももう言ってしまっていた。
「私は孤独だと思いました」と彼女は言った。
悲しいと孤独は、同じじゃない。でも、両方正しい気もした。ちゃんと正しいのか、ただ否定したくないだけなのか、自分でもわからなかった。
「光が一点しかないから、ですか」と聞いたら「それもあるし、誰も写っていないから」と返ってきた。
「でもこの写真、誰かいた気がするんですよ」と私は言った。「写っていないだけで」。
少し間があった。彼女がまた写真を見た。「それ、いいですね」とだけ言った。どういう意味かは聞かなかった。なんとなく、聞かない方がいいと思った。
そのまま、二人で展示を見て回った。自然にそうなった。「これは?」「これはどう見える?」と一枚ずつ、順番に。
見え方が、全然違った。
私が「寂しい」と感じるものを、彼女は「自由」と受け取ることがあった。私が「暗い」と思うものを「静か」と言うことがあった。どちらかが間違いというわけじゃなかった。同じ一枚から、違うものを受け取っていた。それが面白くて、怖くて、もっと聞きたかった。
「同じものを見てこんなに違うって、不思議ですね」と言ったら「それが面白くて来るんですよ」と言われた。「一人で来るより、誰かと来た後の方が長く覚えてる気がして」。
それはわかる、と思った。思ったけど、言わなかった。言葉にすると何か薄くなる気がして。
展示を見終わって、一階のカフェスペースに移動した。特に相談したわけじゃなく、なんとなくそうなった。コーヒーを頼んで、また話した。写真の話から、仕事の話、どこの街が好きかという話。
「東京、どのあたりですか」「高円寺です」「あ、私も杉並区。近い」「高円寺、よく行くお店ありますか」「純喫茶なら何軒か」「それ、行きたい」。
窓の外が暗くなっていた。気づいたら3時間経っていた。外の景色が変わっていたのに、気づいていなかった。高円寺の純喫茶の話をしているとき、向かいのビルの窓に明かりがついていた。いつの間に夜になったんだろうと思った。
「次の展示も一緒に来ませんか」と彼女が言った。
「誘っていいんですか」と聞いたら「ダメですか?」と笑われた。
「ダメじゃないです」と答えた。それ以外の答えが、なかった。
それからほぼ毎月、どこかのギャラリーに一緒に行くようになった。西荻窪の小さなギャラリー、表参道のブランドのアートスペース、銀座のギャラリー小柳。テーマは毎回違う。彼女が見つけてくることもあるし、私が調べることもある。でも「これはどう見える?」という問いかけは変わらない。
一度だけ、「なんで最初に話しかけてきたんですか」と聞いたことがある。
「あの写真の前で、長く止まってる人がいたから」と言われた。「通り過ぎないで立ってる人と話したくなる」。
私はそれを聞いて、少し胸のあたりが温かくなった。通り過ぎなくて良かったと思った。それだけじゃない気もしたけど、うまく言えなかった。
今でも、ギャラリーに行く前の日は、少し落ち着かない。彼女がどう見るかが気になっている。展示のことを調べながら、「これ、なんて言うかな」と想像している。
好きな人と同じものを見たいという気持ちは知っていた。でも「どう見えるか」が違う人と見たいという気持ちを、私はあのギャラリーで初めて知った。
同じ答えを持つ人じゃなく、違う答えを持つ人と、同じ場所に立ちたかったのかもしれない。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。