2時間、彼の話だけ聞いて、自分の分を払って、帰った
Tinderで会った男が2時間、自分の話しかしなかった。職歴、趣味、元カノ、将来設計。私への質問はゼロ。「楽しかった」と笑って別れ、電車に乗った瞬間に連絡先を消した。
正直に言う。あれは私の人生で5本の指に入るひどい夜だった。
場所は恵比寿のイタリアン。Tinderでマッチした彼——田中さん、33歳、IT系——から「恵比寿でいいですか?おいしい店知ってるので」と言われて、まあいいかと思った。恵比寿は好きだ。ガーデンプレイスの坂を上がったあたりに雰囲気のいい路地があって、イタリアンも悪くない。金曜の夜、仕事上がりに行った。
テーブルについて、ワインを注文して、パスタを頼んで、会話が始まった。
「最近仕事どうなの、忙しい?」——自分の仕事の話が始まった。
聞いていた。スタートアップの話、IPO前夜の緊張感、チームの課題。なるほどなるほど。パスタのゆで加減が気になりながら、聞いていた。
パスタが来た。食べた。話は続いた。
「趣味はキャンプで、去年ソロキャンを始めて」——続いた。
キャンプの話が15分続いた。道具の話、チェアの種類、焚き火台の選び方。だんだん道具の型番の話になってきた。メスティンがどうとか、ペグの素材がどうとか。「へえ」と言い続けた。「詳しいですね」と言った。そこから「そうなんですよ」とさらに詳しい話が始まった。
「前の彼女とはよく行ってたんだけど、別れてから一人で行くようになって」——元カノの話が入った。なぜか元カノの性格の分析が始まった。「彼女って束縛が強いタイプが多くて」という話が出た。「彼女って」という主語が気になったけど、水を飲んだ。
デザートが来た。ティラミスだった。マスカルポーネが濃くて、これは本当においしかった。口の中でほどけていく感じ。でも話は続いていた。田中さんはデザートフォークを持ちながら、ティラミスに手をつけずに「鎌倉移住」の話をしていた。
「将来的には都内じゃなくて鎌倉あたりに移住したくて」——未来の話が始まった。
私は手元の紙ナプキンをそっと折りながら、今日何回自分が質問されたか数えていた。
ゼロ。
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気づいたら1駅乗り過ごしていて、彼の肩が温かかった
4回目のデートで飲みすぎた。帰りの中央線で気づいたら彼の肩に乗っかって眠っていた。起こしてくれなかった。1駅過ぎた荻窪で目が覚めた。
一回もなかった。「ご自身は?」という振りすら来なかった。名前は最初に言ったきりで、仕事も趣味も家族のことも、何ひとつ聞かれていない。2時間の間、私は恵比寿のイタリアンで、ひたすら聞き役だった。
ティラミスをゆっくり食べた。もう一口、また一口。これだけが今夜の本当のことだ、と思いながら食べた。
2時間ちょうどで彼が「そろそろですかね」と言った。伝票が来て、彼が合計金額を見て「割り勘でいいですよね」と言った。言った。断言した。聞かなかった。「割り勘でいいですよね」は「割り勘にします」の言い換えで、私には同意を求めていなかった。
「もちろんです」と笑顔で財布を出した。
笑顔で出した。笑えた自分がわりとすごいと思う。
外に出て、「楽しかったです」と言った。嘘だった。「また」という言葉は一切言わなかった。
恵比寿駅の改札を通って、山手線に乗った。
シートに座った瞬間に、Tinderを開いてマッチを解除した。LINEも交換していなかったから、それで終わりだった。あまりにもあっけない。でもすっきりした。
電車が動き出した。窓に映った自分の顔が、思ったよりも普通だった。泣いてもいないし、怒ってもいない。ただ、どっと疲れていた。
渋谷を過ぎたあたりで、友達のみほにLINEを送った。
「ひどかった。2時間、私への質問ゼロだった」
「え?嘘でしょ?」
「嘘じゃない。ティラミスはおいしかった」
「そこ大事じゃない笑」
「大事。あのティラミスにまた会いたい」
「笑 それだけ吸収できたならいい夜だよ」
翌朝、目が覚めたとき、不思議と何も残っていなかった。怒りも、悲しさも、傷ついた感覚も。
ただ、ひとつだけわかったことがある。
人の話を聞くって、スキルじゃなくて、その人への興味の有無だ。興味がなければ自然と聞けない。それだけの話だった。
田中さんは私に興味がなかった。悪い人ではないと思う。ただ、興味がなかった。それは別に傷つくことじゃない。私も、田中さんのことは別に好きじゃなかった。
あの夜のティラミス、本当においしかった。それだけは本当のことだ。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。