2週間テキストだけで繋がっていた27歳の私が、夜11時に電話した
withで2週間、文字だけで会話していた相手の声が、急に聞きたくなった。濡れた髪のまま布団の中で、指が勝手に動いた。22時57分の話。
23時のアラームを止めた直後だった。
シャワーを浴びて、ひとつだけ残っていたゆずの入浴剤を使い切って、濡れた髪のまま布団に潜り込んだ。ゆずの匂いが布団に移ってくる。柑橘系の、少し甘い匂い。仕事の疲れが溶けるまでもなく、スマホを開いていた。
withのトーク画面。リョウとのやりとり、2週間分。
仕事の話、食べ物の話、週末どこに行ったかの話。返信が早くて、文章が丁寧で、絵文字は使わないけど文末に「笑」がよく出てくる人。プロフィール写真は中目黒川沿いで撮ったっぽい、少し逆光気味のやつ。顔がちゃんとわからないのが気になっていたけど、聞けないままでいた。テキストだけで積み上げてきた何かが、問いひとつで崩れそうな気がして。
「声が聞きたい」と思ったのは、何かがきっかけとかじゃなかった。ただ、急に。
メッセージだけだと、笑ってるのかどうかわからない。「笑」ってテキストで書いてあっても、本当に笑ってるのかわからない。喜んでるのか呆れてるのか、体温がないと全部ぼやける。濡れた髪が首に張りついていた。ゆずの匂い。布団の中の、ぬるい暗闇。声が聞きたい。今すぐ。
「電話していいですか」と送ってから発信しようとしたけど、送る前にもうかけていた。指が先に動いた。
22時57分。
呼び出し音。1回。2回。3回——。
「あ、はい」
低い声。思ってたより、ずっと低い。
「あ……えっと。突然すみません、水野です」
「あ、はい……」
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三軒茶屋のバーを出た夜11時。withで出会ったナオキとの6回目。じりじりと動いて動き切らない空気に、私は先に動くことにした。
沈黙。3秒か4秒か。数えていないのに長く感じた。足先から血が引いていく感じがした。失敗した、とは思わなかった。やばい、とは思った。布団の中で膝を抱えた。
「電話、嫌いじゃなかったですよね」
「嫌いじゃ……ないですよ。ただびっくりして。着信って、なんかドキッとするじゃないですか」
「あ、でもわかる。テキストより圧迫感ありますよね」
「そうそう。でもまあ……出ましたよ、ちゃんと」
少し笑う声がした。テキストの「笑」より、ずっと生きてる音がした。首の後ろがすっとあたたかくなった。あたたかい、というより、熱い。布団の中なのに、急に体温が上がったみたいだった。
そこから会話の歯車がかみ合いはじめた。近所のファミリーマートで買ってきた豆腐の話から、なぜか小学生の頃の給食の話になって、苦手なものが揚げパンという共通点が出てきた時に「え、なんで! みんなあれ大好きじゃないですか!」って声が上がった。「油っこいんですよ、重くて」という返しがあって、「それはわかる、わかるけど少数派ですよ私たち」ってなって——。気づいたら、笑っていた。布団の中でひとり、声を殺しながら笑っていた。
0時を過ぎた。
1時を過ぎた。
2時24分。話が途切れた瞬間に、外が静かすぎることに気づいた。中目黒のあたりで、夜中の2時過ぎ、たまに車が通る音がするだけ。自分の呼吸の音が、少し大きく聞こえた。
「もう2時間以上経ってる」
「え、ほんとだ」
向こうの声に、ちょっとだけ笑いが混じった。「電話、明日も仕事ですよね」「そっちも」「まあでも……」——少し間があった——「よかった、声聞けて」。
聞けてよかった。
そのトーンが、耳の奥に残っている。安堵なのか、それとも別の何かなのか、自分でもよくわからなかった。ただ布団の中で、ゆずの匂いがまだしていた。
翌週、初めて実際に会った。三軒茶屋の小さなバーで。カウンター6席だけの、名前も知らないような店。テキストとほぼ変わらない人だった。話し方も、間の取り方も、ほとんどそのまま。でも笑い方だけは、全然違った。目がほとんど閉じるくらいの、豪快な笑い方。あの「笑」の文字の向こうに、これがあったのか。グラスに手をつけるのを忘れて、しばらく眺めていた。
「揚げパン、本当に苦手ですか」と聞いたら、「本当に苦手です。全然普通のパンの方がいい」と即答された。「よかった、嘘じゃなかった」「なんで嘘つくんですか笑」「テキストで盛り上がりたくて話を合わせる人、いるので」「俺はつかないです」「知ってます」。
知ってます、と言ってから、少し驚いた。自分で言っておいて。
いつから知っていたんだろう。22時57分に指が勝手に動いたあの夜から、もうわかっていたのかもしれない。文字だけでは足りなくなる瞬間が、人を正直にする。声を聞いてから、ずっと安心している。それだけは、本当のことだ。
声を知る前と、知った後。その境界線は、意外と細い。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。