「一緒に住まない?」と言ったのは私。待ってたら、ずっと待ってたままだった
6ヶ月目の雨の夜、彼が何度も口を開きかけて閉じるのを見ていた。言えないんだろうな、この人。だから私が先に言った。「そろそろ同棲、考えてみない?」
去年の秋、中目黒のバーで初めて会った。
目黒川沿いの、階段を降りた地下にある小さな店。照明が暗くて、カウンターの木の質感が手のひらにひんやりした。Tinderのプロフィール写真より少し背が高くて、席についた瞬間「あ、ちゃんと実在した」と思った。
そこから2ヶ月。付き合うまでに時間がかかったのは、Taikiさんが慎重な人だったから。仕事では決断が速いと後から聞いたけど、プライベートになると途端に「もう少し様子を見てから」型になる人で、引っ越しは3ヶ月悩んで、スマホは壊れるまで使い続けた。それくらい、ゆっくりとしか動けない。
だから、告白が彼からだったのは少し意外だった。
3ヶ月目のある夜、東中野の居酒屋を出て、路地を歩いていた。信号のない細い角で突然立ち止まって、「好きです、付き合ってください」と言ってきた。ちゃんと声に出して。その言葉を引っ張り出すのに、どれくらいの時間をかけたんだろうと今でも思う。
付き合い始めてから、週末はほぼ一緒にいた。
彼の部屋が三鷹、私の部屋が西荻窪。電車で10分の近さが、結果的に「でも別々に住んでる」という距離をずるずると引き伸ばした。週末は行き来して、彼の部屋で朝ごはんを食べて、私の部屋で夕飯を作る。そういう生活がリズムになっていった。
「同棲できたらいいな」と思い始めたのは、3ヶ月目に入ったあたりだった。
でも言えなかった。
まだ早いかな、という気持ちと、私が言い出したら重く受け取られるかな、という気持ちと、もしかしたらそもそも彼にその気がないかもしれない、という気持ちが、全部同時にあった。好きだし、一緒にいたい。それは確かなのに、「一緒に住もう」の四文字が喉のあたりで止まり続けた。矛盾してるとわかってた。でも止まってた。
5ヶ月目。二人で部屋にいた夜、Taikiさんが急に「最近、部屋が狭く感じてきた気がして……」と言った。
声のトーンが、少し違った。引っ越しの話をしてるのか、それとも遠回しに何かを伝えようとしてるのか、判断できなかった。「狭いよね」と相槌を打っただけで、話はそこで終わった。
後から何度も思い返した。あの続きを聞けばよかった。「それって、もしかして一緒に住むとかも考えてる?」と。でも聞けなかった。踏み込んだら何かが変わりそうで、現状がそのまま続くことの方が安全に思えた。臆病だったと思う。それも認める。
6ヶ月目の土曜日の夜。
三鷹の彼の部屋で鍋を食べた後、ソファに並んで座っていた。テレビはついてたけど、二人とも画面を見ていなかった。窓の外から、雨が降り始める音がした。秋の雨特有の、静かで細い音。
Taikiさんの視線が、何度か宙に向いた。
口が開きかけて、閉じる。また開きかけて、閉じる。
あわせて読みたい
気づいたら1駅乗り過ごしていて、彼の肩が温かかった
4回目のデートで飲みすぎた。帰りの中央線で気づいたら彼の肩に乗っかって眠っていた。起こしてくれなかった。1駅過ぎた荻窪で目が覚めた。
言えないんだろうな、この人。
それを見ていたら、なぜかおかしくなってきた。おかしい、というより、もう終わりにしようと思った。この宙ぶらりんを。6ヶ月分の「言えなかった」を。
「ねえ」
私が先に口を開いた。
「そろそろ同棲、考えてみない?」
一瞬だけ間があって、それからTaikiさんの顔が、一気に緩んだ。表情筋が全部ほどけたみたいに。力が抜けたのか、肩まで少し落ちた。
「……言おうとしてたんだけど」
「知ってた」
「え、わかった?」
「5ヶ月目から、何か言いたそうだったもん。あの『部屋が狭い』もそうでしょ」
彼がソファの背もたれに顔を埋めた。照れてるんだと思う。うなじが少し赤かった。雨の音が窓越しに続いていた。
「なんで言えなかったの」
「早いかなって。迷惑じゃないかなって」
「同棲が迷惑なわけないじゃん」
「いや、でも……」
「私も言えなかったんだけどね、ずっと」
彼がソファから体を起こして、こっちを見た。「え、言いたかったの?」という顔をしていた。口には出さなかったけど、全部顔に書いてあった。「そうだよ」と言ったら、また表情が崩れた。
「俺たちバカじゃないの」
「バカだった」
二人で笑った。笑いながら、胸のあたりが少しじんとした。6ヶ月分の「言えなかった」が、こんなに簡単に終わったことへの、なんとも言えない気持ちで。もっと早く言えばよかったというのと、この夜に言えてよかったというのが、同時にあった。
それから具体的な話が始まった。エリアはどこがいいか、予算はどれくらいか、ペット可にするか。SUUMOを二人でスクロールしながら、初めてちゃんと「私たちの今後」を話した夜。中目黒のバーで会った夜とも、東中野の路地で告白された夜とも違う、もう一つの始まりの夜だったと思う。
今は荻窪に一緒に住んでいる。1LDK、築7年。
週末の朝、Taikiさんが豆を挽いてコーヒーを淹れている音で目が覚める。カリタのミルで豆を挽く、あのゆっくりとした音。雨の日は窓を閉めていても特によく聞こえる。あの6ヶ月目の夜も雨だったことを、その音を聞くたびにたまに思い出す。
友達に「同棲しようって言ったのどっちから?」と聞かれると正直に答える。「私から」。「えっ、珍しいね」と言われる。
珍しくない、と私は思っている。言いたい人が言えばいい。
待ってたら、ずっと待ってたままだった。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。