恋のアーカイブ
恋愛体験談

乗り間違えた電車が、運んだ縁

10月の終わり、渋谷から乗った電車で寝落ちして気づいたら終点。降りた見知らぬ駅で、同じ電車を乗り過ごした彼女と出会った夜のこと。

·橘みあ·6分で読める

10月の終わりだった。


渋谷から乗った電車の座席に腰を落とした瞬間、意識が落ちた。夢も見なかった。カバンを膝に乗せたまま、ただ真っ暗な場所に沈んでいくような、あの感覚。一週間ぶっ通しの残業が、私の体からすべての抵抗を奪っていった。


起きたら、終点だった。


時計は23時42分。窓の外には、見たことのない駅名。スマホで調べたら、渋谷から30分以上先。頭がまだぼんやりしたまま、「やってしまった」という感覚だけが冷たくお腹のあたりに沈んだ。タクシーで帰れなくはないけど、料金を見てわずかに手が止まった。折り返せば戻れる。でも次の電車まで15分ある。


とりあえず、改札を出た。


外に出た瞬間、風が顔に当たった。10月の夜の風。Uniqloのライトダウンじゃ少し足りないくらいの、芯のある冷たさ。駅前の街灯がぼんやりと商店街を照らしていて、シャッターの降りた店が並んでいた。深夜の知らない街って、なんだかドールハウスみたいだと思った。静かすぎて、リアルじゃない感じ。


枯れ葉の匂いがした。どこかの飲食店の排気口の、揚げ油の残り香と、秋の湿った空気が混ざったような。その匂いが、妙に鼻の奥に残った。


「あの、すみません」


声をかけられたのは、改札を出てすぐのことだった。


ジャケットに白いシャツ、20代後半くらいの女性。スマホを見ながら、困った顔をしていた。スーツじゃないけど、仕事帰りだとわかった。同じ匂いがした。疲れた人特有の、肩の落ち方。


「タクシーって、どこで拾えますか」


私も知らなかった。知らないけど、「わかりません」とだけ言うのが、なんか違う気がした。なぜかわからないけど。


「私もわからなくて。一緒に探しますか」


言ってから、少し驚いた。自分で言った言葉なのに。深夜の知らない駅で、見ず知らずの人に声をかけるなんて、普段の私がするはずのないことだった。疲れすぎると、変な度胸が出るらしい。


並んで歩き出した。


「どこから乗ってたんですか」

「渋谷から。寝てたら終点でした」

「あ、私も渋谷からです」

「じゃあ同じ電車ですね、たぶん」

「なんかの、ご縁ですね」


笑い声が出た。お互いに同時に。夜の駅前に、笑い声って似合わないようで、妙によく響いた。少し照れくさくて、少し、なんだろう、胸の中が緩んだ感じ。一週間ぶりに緩んだような気がした。


コンビニの明かりが見えた。ローソンだった。店員さんに聞いたら、「この先の交差点を右に行ったところ」と教えてくれた。向かいながら、また話した。テンポが自然だった。間が怖くなかった。


「残業続きだったんですか」

「そうなんです。気づいたら終点で」

「わかります。私も先週やりました」

「先週も?」

「今週はさすがに気をつけてたのに、今日もやりました」

「懲りてない」

「ほんとに」


笑いながら歩いた。寒いのに、不思議と清々しかった。乾いた空気が頬に当たるたびに、なんかちょっと、覚醒していく感じ。さっきまでの倦怠感が、薄い膜になってはがれていくような。


タクシー乗り場は、交差点の角にあった。5人くらいの列。5分は待つかなという感じ。


その5分で、話した。


「こんなことって、あるんですね」

「映画みたいですよね」

「じゃあ主人公は、この後どうするんですかね」


彼女が笑いながら聞いた。街灯が横顔を照らしていた。白いシャツの襟が、少し風に揺れた。


「連絡先を交換する、じゃないですか」


言ってから、一瞬だけ後悔した。直球すぎたかもと思った。でも彼女は少し考えてから、「たしかに、主人公はそうしますね」と言って、スマホを出した。


タクシーが来た。それぞれ別の方向に乗り込んだ。乗り込む前に、「また」と言った。「また」と言われた。それだけだった。


タクシーの中で、窓の外を流れていく深夜の街を見ながら、少しだけ心臓がうるさかった。うるさい、っていうか、なんか、久しぶりに動いてる感じがした。


翌朝、LINEが来ていた。「昨日はありがとうございました、たぶん正しい方向に帰れました」という文章と、ネコのスタンプ。


かわいい、と思った。「たぶん」のところが。


「私もたぶん帰れました」と返したら、「たぶんって」と返ってきた。


そこから続いた。


カフェで会って、渋谷のHIKARIE近くのイタリアンで夜ごはんを食べて、夜中に交わすLINEが増えていって。好きになっていく過程で何度か、「これって本当にそういう感じなのかな」と立ち止まったりもした。好意と、「違うかも」が、同時にある状態。あの揺れる感じは今でも覚えている。でも揺れながらも、次の日にはまた連絡したかった。


3ヶ月後、「あの駅、また行きたいね」と言ったら「乗り過ごさないと行けないね」と返ってきた。次の計画は「意図的に終点まで行く」こと。ばかみたいで、でもそれが一番しっくりくる。


あの夜、ちゃんと起きていたら、たぶん会っていない。乗り過ごさなかったら、改札を出るタイミングも違ったはずで、声をかけられることもなかった。


寝落ちしたことが、何かを連れてきた。


人生で一番ちょうどよかった、うっかり。

この記事を書いた人

橘みあマッチングアプリ体験談ライター

27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。

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