会社の先輩をOmiaiで見つけた月曜、私は出社できなかった
日曜の深夜、スワイプした指が凍った。見覚えのある横顔。隣の部署の、あの先輩だった。
日曜の深夜1時。三軒茶屋のワンルーム。ベッドに寝転がって、Omiaiを開いていた。
23歳、IT企業の営業事務、2年目。Omiaiを始めて2ヶ月。いいねは結構もらえるけど、会ってみると「あ、違う」が続いて、疲れ始めていた時期。YOASOBIの「夜に駆ける」をリピートしながら、惰性でプロフィール検索。右、左、左、左——
指が止まった。
横顔の写真。カフェのテラス席で、アイスコーヒーを持って笑ってる。見覚えがある。この笑い方。口角の上がり方。
隣の部署の、田中先輩。
3つ上。法人営業部。月曜の朝礼でたまに目が合う人。社食で偶然隣になった時、「味噌汁の具、今日当たりだね」って話しかけてくれた人。それだけ。それだけの人。
血の気が一気に引いた。指先が冷たくなる。スマホを取り落としそうになって、両手で握り直した。
プロフィールを見てしまった。身長175cm。趣味:映画鑑賞、ランニング、料理。好きなタイプ:「一緒にいて自然体でいられる人」。
知らなかった。田中先輩が料理するとか。映画好きとか。会社では仕事の話しかしないから、この人にプライベートがあるということ自体を、ちゃんと考えたことがなかった。
写真をスワイプした。2枚目。鎌倉っぽい海辺で犬と一緒に写ってる。柴犬。先輩の目尻のシワが優しい。3枚目。手作りっぽいパスタの写真。盛り付けが意外と丁寧。
胸がざわざわする。見ちゃいけないものを見ている感覚。でも目が離せない。
スマホを裏返してベッドに置いた。天井を見る。蛍光灯のカバーに虫の影が映ってる。
「見なかったことに」
声に出して言ってみた。無理。もう見た。
そして最悪なことに、心臓がまだドクドクいってる。これは気まずさだけじゃない。何か別の、もっと厄介なものが混じってる。
月曜の朝。目覚ましが6時半に鳴った。体が重い。起きたくない。今日は先輩と同じフロアで8時間過ごさなきゃいけない。
「体調不良で休みます」
LINEを打ちかけて、消した。逃げてどうする。永遠に出社しないわけにはいかない。
無印良品のベージュのブラウスに黒のパンツ。いつもの通勤服。鏡の前で3回着替え直した。なんで? 誰に見せるわけでもないのに。嘘。自分でもわかってる。
会社に着いた。エレベーターで5階に上がる。ドアが開いた瞬間、廊下の向こうに田中先輩がいた。紺のネクタイ、白シャツ、腕まくり。コーヒーカップを持って、同僚と笑ってる。
「おはようございます」
声がうわずった。先輩がこっちを向いた。
「おう、おはよう」
いつも通り。何も変わらない。当たり前だ。先輩は私がプロフを見たことなんて知らない。知らないよね? Omiaiって足跡つくんだっけ? つく。つくわ。終わった。
午前中、まったく仕事が手につかなかった。Excelの数字がぜんぶ田中先輩の顔に見える。見えない。でも集中できない。隣の席のあかりちゃんに「顔色悪くない?」と言われた。
昼。社食。味噌汁を取って席に座ったら、斜め向かいに先輩が座った。
心臓が暴れる。味噌汁を持つ手が震えて、汁がちょっとこぼれた。
「大丈夫?」
先輩がおしぼりを差し出してくれた。その指が近い。爪が短く切ってある。清潔な手だなと思った。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
先輩は焼き魚定食を食べながら、スマホを一瞬チェックした。画面は見えなかった。見たくなかった。見たかった。
その日の夜。帰りの田園都市線。スマホを開いた。Omiai。
通知が1件。
「田中さんからいいねが届きました」
スマホを取り落とした。マジで落とした。電車の床に。隣の人が拾ってくれた。「ありがとうございます」と言う声が完全に裏返っていた。
先輩が、私に、いいねを送ってきた。
ということは。先輩も私のプロフを見たということ。私が同じ会社の人間だと気づいたということ。気づいた上で、いいねを押したということ。
三軒茶屋で降りて、駅前のドトールに飛び込んだ。ブレンドコーヒーのMを頼んで、窓際の席でスマホを凝視した。
「いいねを返す」ボタン。
親指が震えてる。
押した。
マッチ成立。
3分後、メッセージ。
「気づいてたでしょ?笑」
「気づいてました。今日一日ずっと気まずかったです」
「俺も。味噌汁こぼしたの見て、もしかしてバレたかなって」
「バレてました。というか足跡で先にバレてるのはこっちです」
「あー、足跡ね。それで月曜の朝、目が泳いでたのか」
「泳いでましたか」
「泳いでた。金魚鉢の金魚くらい」
笑った。声が出た。ドトールの店内で一人で笑ってる。怪しい人になってる。
「ていうかさ」先輩のメッセージ。「前から気になってたんだよね。でも社内で声かけるのってハードル高くて。アプリで見つけた時、あ、チャンスだって思った」
指が止まった。ドトールのコーヒーがぬるくなっていることにも気づかなかった。
「私も」
打って、消して、打ち直して、また消して。
「私も、先輩のこと、ちょっと気になってました」
送信。画面を伏せてテーブルに置いた。顔が熱い。耳まで赤くなってるのが自分でわかる。
「ちょっと?」
「……結構」
初デートは翌週の土曜。恵比寿のイタリアン。先輩——いや、この日から「田中さん」は「裕太さん」になった。スーツじゃない裕太さんは、ユニクロのデニムジャケットにボーダーのTシャツで、会社とは全然違う人みたいだった。でも目尻のシワは同じ。
ワインを飲みながら、会社では絶対にしない話をした。裕太さんが大学の時バンドをやっていたこと。Mrs. GREEN APPLEのコピーバンドだったこと。私が高校時代にあいみょんの「マリーゴールド」を文化祭で歌ったこと。
「聞きたい。今度歌って」
「絶対嫌です」
「じゃあ俺がギター弾くから」
「余計嫌です」
笑った。白ワインのグラス越しに目が合って、息が詰まった。会社の蛍光灯の下では気づかなかった。この人の目、すごく優しい茶色をしている。
帰り道。恵比寿の街灯の下。
「月曜から、普通にできるかな。会社で」
裕太さんが頭を掻いた。
「無理かも。味噌汁こぼすかも、今度は俺が」
「それは困ります」
「じゃあ練習しとく。ポーカーフェイスの」
3ヶ月後、付き合い始めた。会社では完璧に隠した。つもりだった。でもあかりちゃんには初日でバレた。「味噌汁2回こぼした日から怪しいと思ってた」と言われた。
半年後。上司に報告した。「頑張れよ」と言われただけだった。拍子抜けした。
今、一緒に暮らしている。朝、同じ電車に乗って、会社の最寄り駅で一緒に降りて、エレベーターの前で別れる。「じゃ」「じゃ」。それだけ。
同僚に見られたらどうしよう、なんてもう思わない。
社食の味噌汁は、二人で飲んだ方がうまい。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。