3回目のデートのカラオケで、彼は最初にわざと下手に歌った
カラオケが怖かった。声を聞かせるのが恥ずかしくて。彼が最初に入れた曲を、本気でへたくそに歌い始めた。作戦だった。全部わかって、泣きそうになった。
カラオケに誘われた時、一瞬固まった。
「3回目のデートにカラオケどう?」と彼——翼くんがLINEで送ってきた。Tinderで出会って、1回目は下北沢でご飯、2回目は吉祥寺で映画を見て、3回目がカラオケ。
返信を打つ指が止まった。カラオケか。
私は歌が、得意じゃない。音程は合ってる方だと思う。でも人前で声を出すのが苦手で、特に気になってる人の前では喉が閉まる感じがある。
「行ったことあるの?」と翼くんが追加で送ってきた。
「ある。でも人前で歌うのちょっと苦手で」
「わかった。じゃあ別のとこにしようか」
「いや、行ってみる。怖いけど」
「怖くて行くのえらいじゃないですか(笑)」
「やかましい(笑)」
土曜日の夕方、新宿のカラオケ店。個室2人用の一番小さい部屋。テーブルに炭酸水とジンジャーエール。
まず曲を入れるのは翼くんがやると言った。私はデンモクを持って眺めた。何を入れるのかな、と横目で見ていたら、翼くんが「よし」と言って立ち上がった。
流れてきたのはYMCAのイントロだった。
「え、YMCAで始めるの」
「YES」
翼くんが歌い始めた。
ひどかった。
音程が外れてる、というより、意図的に外している。振り付けは完璧にやってるのに、声は真剣に音程を無視している。サビの「Y-M-C-A!」でポーズを決めながら、音がどこかに行っている。
笑った。声が出た。お腹が痛くなるくらい笑った。
YMCAが終わって、翼くんが息を切らしながら振り返った。
「見た? 完璧なやつ」
「最悪だった(笑) 何、あれ」
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4回目のデートで飲みすぎた。帰りの中央線で気づいたら彼の肩に乗っかって眠っていた。起こしてくれなかった。1駅過ぎた荻窪で目が覚めた。
「下手に歌う練習、めっちゃした」
「え?」
「歌うの苦手って言ってたから。最初に俺がめちゃくちゃ歌えば、萌ちゃんが歌いやすくなるかなって思って」
喉の奥が締まった。
意図的だったんだ。あの絶望的な音程は、全部計算だった。
「……なにそれ」
「通じた?」
「通じた。でもなんかちょっと、待って」
「え、ダメだった?」
「ダメじゃない。ちょっとだけ待って」
炭酸水を一口飲んだ。冷たかった。喉の奥にちゃんと通った。目が乾いていく感じがした。乾いてるということは、滲んでいる。23歳がカラオケで泣くのか、私は。
「行く。歌う」
デンモクを取った。あいみょんの「愛を伝えたいだとか」を入れた。
歌った。
途中、声がうわずった。でも歌った。翼くんは椅子に座って炭酸水を飲みながら聴いてた。「頑張れ」とも「うまい」とも言わなかった。ただ聴いてた。
サビが終わった時、翼くんが「うまいじゃん」と言った。小さく。お世辞じゃない声で。
「うまくないよ」
「俺より全然うまい」
「それは比べる相手が悪い(笑)」
次の曲、翼くんが入れた。back numberの「水平線」。今度は真剣に歌った。音程が合っていた。声がいい。ちゃんと歌える人だ。
最初のYMCAと、この「水平線」のギャップに、あらためて腹が立った。いい意味で。
「最初からそっちが本当の実力でしょ」
「ばれた?」
「ばれてたよ、最初から。でも嬉しかった」
翼くんが少し照れた顔をした。耳の先が赤い。
3時間カラオケして、最後の1曲は2人でスピッツの「チェリー」を歌った。お互い音程が合ってて、でも恥ずかしくて途中から笑いながら歌った。
店を出て新宿の夜道を歩きながら、翼くんが「楽しかった?」と聞いた。
「楽しかった」
「怖くなかった?」
「最初だけ。あのYMCAのあとは全部大丈夫だった」
「そのためのYMCAだったので」
横断歩道で信号待ちしながら、翼くんの横顔を見た。コートの襟を立てて、街灯の光を受けて、少し口角が上がっている。
自分が緊張しているのを隠して、私のために下手に歌う人が、世の中にいるんだ。
小さなやさしさは、大きな言葉より遠くまで届く。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。