Tinderでマッチして48時間後、私は彼のワンルームの朝日を見ていた
金曜の夜、新宿の帰り道にスワイプした右。48時間後、三軒茶屋の南向きの部屋で、知らない人の寝息を聞いていた。後悔じゃない。でも、なんて呼べばいいかもわからない朝の話。
金曜の23時過ぎ、新宿三丁目の駅のホームで私はスマホを開いていた。
友達と飲んでいた居酒屋を出たばかり。アルコールが程よく抜けかけた、あの体が一番軽くなる瞬間。電車が来るまで何をするでもなくスワイプしていた。右、左、左、右。人の顔を指一本で仕分けしている自分が少し可笑しくて、でも画面から目が離せなかった。
マッチ通知。
彼のプロフィールには「週末は基本フリー」「写真撮るのが好き」。3枚の写真が、全部構図よかった。光の引き方がうまい。プロかと思ったら、最初のメッセージに「SEです」と書いてあった。それがなんか、よかった。説明しようとしている感じ。
翌日の土曜、夕方に会った。
Tinderらしいスピード感だとは思う。「明日どこか行かない?」と彼から来て、「いいですよ」と返した。考える前に。考え始めたら断ってた気がする。だから考えなかった。
渋谷で待ち合わせた。田園都市線のホームの端。彼は少し遅れてきて、「ごめん」とだけ言って並んだ。走ってきた様子はなかった。急いだのか急いでないのかわからない謝罪。でもそれが嫌じゃなかった。
1件目のバーで2時間、話した。仕事の話、趣味の話、お互いの使っているアプリの話。Tinderで出会っておいて「Tinderって変な感じしますよね」と言い合う、あの不思議なやりとり。笑えた。それなりに。
「写真、見てみたい」
私が言ったのか、彼が言ったのか。どっちが先だったかもう覚えていない。でも気づいたら三軒茶屋駅を降りていた。
築7年のマンション。エントランスが思ったよりちゃんとしていた。エレベーターで4階。ドアを開けた瞬間、部屋が広くて少し驚いた。1LDK、南向き。本棚には哲学書が並んでいて、棚の上にカメラが3台あった。
「多いな」
「集めてるんだよ。古いフィルムカメラ」
「撮ってよ」
「今?」
「今」
自分でも思ってなかった台詞が出た。
彼が棚からライカを手に取った。フィルムカメラのシャッター音って、こんなに小さいんだと思った。パシャ、という音。静かすぎて、逆に体が固まった。どんな顔をしていたんだろう。今でも知らない。
ソファで話した。彼が淹れたコーヒーを飲みながら。部屋にSHIROのルームスプレーの香りが漂っていて、あとで聞いたら姉からもらったものだと言っていた。窓から住宅街の夜景が見えた。派手じゃない。東京の、飾らない夜。それがなぜか落ち着いた。渋谷でもなく、恵比寿でもなく、三軒茶屋のこの感じ。
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コーヒーをこぼして、シャツを借りて、その匂いを3日間洗えなかった。人を好きになるって、こういう小さな保留の積み重ねなのかもしれない。
なんとなく、好きかもしれないと思い始めていた。それと同時に、「違うかも」という声も頭の隅にあった。この二つが同じ温度で存在していた。
気づいたら終電の時間が過ぎていた。
「泊まっていいよ」
普通に言われた。Tinderだからこうなるよね、という話は聞いていた。覚悟もしてた、かもしれない。でも全然嫌じゃなかった。むしろ——
「じゃあ」と言いかけた声が、自分でも驚くくらい小さかった。
————
朝。カーテンの隙間から光が斜めに入ってきた。
8時14分。スマホで確認した数字。
隣で彼が寝ている。背中を向けていた。肩甲骨が呼吸のたびに動いていた。規則正しく。私の心拍数と全然違うテンポで。
顔を洗いたかったけど動けなかった。起き上がる音で彼が目を覚ましたら、この朝が「始まって」しまう気がした。始まったら、終わりに向かう。この光の中でじっとしている時間が終わる。
三軒茶屋の南向きの部屋は、思っていたよりずっと明るかった。首の後ろにやわらかく光が当たっていた。誰かの部屋の朝日を、こんな角度で受けたことが今まであっただろうか。
この部屋にまた来ることがあるかどうか、わからない。昨夜のコーヒーの香りも、ライカのシャッター音も、住宅街の夜景も、全部ここだけのものかもしれない。そう思ったら、胸の真ん中が少し重くなった。悲しいというより、惜しい。まだ始まってもいないのに、もう終わりを考えていた。
「起きてる?」
背中から声がした。
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「……起きてる」
「コーヒー淹れる」
「うん」
彼が起き上がった。寝ぐせがひどかった。昨夜、きれいな光の使い方をする人が、今は後頭部がぺったんこになっている。それが不思議と、よかった。格好をつけていない朝の顔。見せてくれているのか、ただ気にしていないだけなのか。どちらにしても、悪くなかった。
2杯のコーヒー。昨夜の続きみたいな話をした。好きな映画の話、子供の頃の話、なぜかコンビニバイトの失敗談。笑った。ちゃんと笑えた。
ふつうの朝だった。知らない人と過ごしているのに、どこかふつうだった。
別れ際、「また連絡する」と彼が言った。TinderのDMじゃなくて、LINEで。連絡先を交換したのはいつだったか覚えていないけど、LINEから来た、という事実が何かを意味していると思った。意味していてほしいと思っていた、が正確かもしれない。
三軒茶屋の駅まで歩く道、日差しが強かった。昨夜の住宅街が、昼の顔をしていた。全然違う場所みたいだった。
48時間で出会って、朝を迎えた。
後悔じゃなかった。それだけは確かだった。名前のつけ方はまだわからないけれど、あの部屋の朝日だけは、本物だったと思う。
知らない人の部屋で迎える朝が、こんなにも静かだとは知らなかった。
この記事を書いた人
27歳・東京。Pairs・with・Tinder・Omiai・タップルを延べ3年間使用。マッチングアプリで3人と出会い、2回失恋した経験をもとに執筆。失恋した夜に誰かのブログで楽になった経験から、このサイトを始めた。